パラグアイの時以上にパナマでは
協力隊員との付き合いが多くなった。
ひとつには地理的な状況。
パナマの中央部に位置し、丁度東西南北に
向かうバス路線の発着する大きなターミナルが
あったから。
大体の人がここで大なり小なりの休憩をとる。
で、我が家は、そのお泊りどころの
ひとつとなった。
週末はたいてい誰かしら泊り客がいるって
感じでした。
男の子だと子供と遊んでくれたり、料理を
作ってくれたり、女の子だとやはり子供と
遊ぶか、私とパナマ人について愚痴を言い
あったりって感じで私には楽しみでは
ありました。
そんな中に農大出身のTさんという男性が
いました。
彼は、南米に移住し農業をするってことが
夢だった人で、最近はどうなのかな・・・
当時はよく自動車会社などの季節労働者って
感じで数ヶ月、地方のその工場の寮で
働くことを繰り返し、お金を貯めていたそう。
パナマでも無駄遣いせずに、堅実に生活を
していた様子。
でも、まあこれが、周りの隊員からケチ・・・
って見方をされていて、やや孤独な感じだった。
でもですね、たくさんの隊員が我が家に、
当たり前のように宿泊している中、
絶対に「ご迷惑はかけられません」と言って
近くのホテルに泊まって、そこから訪ねてきて
くれていた。
手土産なんて、あまりもらったことないけど
彼だけは毎回ワインだとかお菓子だとか
日本に一時帰国した際には、娘に絵本を
買ってきてくれたりとものすごく気遣いして
くれた人なんです。
いや、それだけら評価しているわけじゃない
ですよ、もちろん。
私たちのほうが収入あったし、私の楽しみでも
あったから、皆さんが来てくださることは
当然と思っていたし、歓迎もしてました。
ただね、皆の評価があまりにも低いのが
私は残念でたまらなかったんです。
私たちより少しあとに帰国し、しばらく
経った頃、また長野の山奥の会社の寮で
働いている、という連絡がありました。
それからしばらくして、ブラジル行きが
決定した、ついてきてくれる人も見つかった
・・・って言う連絡が来ました。
あれから10数年経ちました。
どうしているかな、と思ってネットで検索
してみたら、サンパウロ新聞のサイトに
ちゃんと写真入で出てました。
良くがんばったな~という思いと、
初志貫徹できたってことを、ものすごく
うらやましく、ちょっと悔しい思いで
見てました。(自分に対してね)
いつの記事なのかが記していないので
正確にはわからないけど、今は多分
40歳前後でしょうか。
ま、こんな方も地球の裏側に居るんですよ、
ってことで。
下記がその記事です。サンパウロ新聞。
よろしかったらご覧ください。
伯国一の干し柿作りました ピエダーデ・Tさん
《試行錯誤の上で辿りつく》
1998年から農業生産を目的にブラジルに移住し、
現在、聖州ピエダーデで柿などの果物生産活動を
行っているTさん(36歳、千葉県出身)。
試行錯誤を繰り返しながらも、前向きな姿勢を
持ち続けている。
東京農業大学農学部を卒業し、JICA派遣
青年海外協力隊制度でパナマで生活した経験を
持つTさんは、モジ郡イタペチの日系農家で
花卉栽培の手伝いを行ったあと、本格的な
ブラジルでの生産活動として99年から
聖州ジョアノーポリスで借地しながら
イチゴ作りを始めた。
しかし、同地は生産物の輸送が困難な山奥で
電話連絡もままならず、標高も高いことから
霜の被害に遭うことも多かったという。
《怖いのは「雹と泥棒」 進取の気性に富む農業青年》
「イチゴを始めた時は自分のオリジナル・ブランドを
作りたいという気が強かったですが、大きな資本と
時間がかかることを考えると、現状では諦めざるを
得なかった」。
Tさんは、02年に思いきって現在のピエダーデに移転。
柿を中心にした生産活動に切り替えた。
現在は、二ヘクタールの借地に富有柿、
ギョンボ種をともに310本ずつ、
約1.8ヘクタールの自費購入地に
桃を430本植えているという。
柿生産は地元の日系生産者から勧められ、
家長が亡くなり、その子弟が農業を継いでいなかった
日系家族の土地を借りた。
同地は30年以上の成木園だったが、
約10年間は放置状態だったため、
「最初は、どこに柿が植えられてあるのかも
分からないほど荒れた状態でした」と
Tさんは苦笑する。
自己資金を投入して荒地を開墾・整備してきたが
この4年間は赤字続き。
今年初めて「少しだけど、利益が出ました」と
Tさんは嬉しそうに微笑む。
この4年間で、APPC(聖州柿生産者協会)に
派遣されているJICAシニア・ボランティアの
指導を受け、思いきった改良策を行ってきたTさん。
一昨年には、桃生産の技術研修として1か月間に
わたって、日本の熊本、福岡、山梨など生産地での
技術指導も受けるなど、積極的な活動を実施してきた。
現在、柿は国外輸出用としてAPPCと、
国内消費用のセアザにそれぞれ出荷。
それらと並行して、加工品としての干し柿づくりも実践。
聖市リベルダーデ区の金澤製菓や老人クラブ連合会を
はじめ、日本食品店などにも卸している。
「一番怖いのは、雹(ひょう)と泥棒」と答えるTさん。
「問題も多いですが、充実してやっています」と
陽に焼けた顔をほころばせた。