お出かけ前にもうひとつ。
郵便は宅配がなくて、私書箱を
作らなくてはならない。
鍵をもらって、自分のポストを
あけてとってくる。
何よりの楽しみなのでほぼ
日参状態の私だった。
で、小包が届くと、メモが入ってる。
それをもっていくと「税関」の
おばさんがいて、その人の前で
中身を見せてチェックしてもらう。
日本の食材に興味深々で
「これは何だ?」とかいろいろ
聞かれたな~。
で、通関料も請求されて
いたような気がする。
パラグアイは宅配があったけど
小包は、宅配どうだったかな?
危険ということでJICAの事務所
あてに送ってもらっていたのは確か。
スペインは郵便は宅配だったけど
小包はやっぱりメモだけ宅配され
自分で取りに行く。
今もスペインに住んでいる友人の
話では相変わらずのよう。
一度16キロの荷物が家から
届いて困ったことがあるけど
そのときは車を持っている子が
助けてくれた。
日本の郵便システムって
すごいな!と思います、つくづく。
出すのも郵便局だったな。
確かポストなんてなかったように
思う。
パラグアイも同様。
スペインやアルゼンチンには
ポストはあったけど、いつ集めに
くるかはわからないといわれていた。
一応届いていたようだけど。
ただ、私書箱はかなり限られて
いたので、多くの人は持って
いなかったと思う。
宅配のない国で、どうしていたのか
それを確認してこなかったのは
残念だけど、郵便局気付だったの
かもしれない。
あと残りは・・・郵便を受け取る
ことなんてないクラスの人たち
だったのでしょう。
商店街はラテン系特有の
「シエスタ(昼寝)」タイムがあって
12時過ぎくらいから15時だか
16時くらいまでしまってる。
今はいろいろ変わっているらしいけど
私がいくつか行った当時のラテンの
国々は皆同様だった。
コンビニが本当に便利で欠かせない
ものになってしまったけど、
ああいうシエスタ習慣は、私自身
かなり評価しているので、
24時間・・・どうなの?っていう
気持ちもないではない。
シエスタのいいところって・・・
昼寝するわけでもないけど、
やっぱり長時間休んで午後に
備えると違うんじゃないかなという
気がしてます。
それに、そういうシステム自体が
家族、自分を大事にするゆとり
って感じがして、私は大好き。
私がえらくなって会社でも
持ったら、絶対にシエスタの
ある会社にしたいと、本気で
思ってますよ~。
そしたら、その時間に休むなり
オフィスタイムでないと
処理できない(支払いとか)も
余裕を持ってできるじゃない?
追い立てられるような生活は
せっかちな私が言うのも
ナンだけど、やっぱりイヤ!!
ちなみにシエスタはランチタイムも
含めます。
ラテンは昼がメインなのでね。
外で働いている人たちが皆
家に帰ってきて揃って食べる。
まあ、レストラン利用者も多いし
今はどうかわからないけど、
こういうことって、ちょっと
国際的に遅れていようとも
他のことに替えがたい、
すばらしい習慣だと、今でも
思ってる。
よく行ったスーパーは
スーパーカルネとスーパー99という
ところで、99の方が大きい。
99のガードマンはオスカルという
名の男性で日本語に興味が
あるらしくよくお話した。
最終的には結構仲のいい友達に
なって行き来もしてたけど。
この彼、協力隊の中学校教師の
男性が、ボランティアではじめた
日本語教室に最後の最後まで
通い続けた唯一の人だと
あとで聞きました。
がんばりやさんだ。えらい!
アメリカとかメキシコあたりの
輸入品が多かったかな。
意外と品揃えは多い。
すごくいいシステムだと思ったのは、
CAJA RAPIDO といって
10アイテム以下の買い物の人の
専用レジがあったこと。
皆さんカートに山ほどの買い物を
するので、ちょっと時間がかかる
から、こういうのがあると急ぎの
時にはすごくいいと思った。
それから公共料金がレジで
支払えたこと。
今は日本でもコンビニで
支払えるけど、スーパーでも
できたらいいのにとよく思います。
たとえば、1986バルボアという
料金の時に、日本式におつりに
小銭ができるだけ混じらないよう
2091バルボアなんて出し方を
すると、計算ができない人も
結構いた。
時々はできる人もいたけど、
少なかったな。
大きな荷物を持っている人は
クロークみたいなところに
番号札とひきかえに預けなくては
ならない。
スーパー以外に、街にあったのは
レストラン各種、スピーゲルという
ドイツ系のホームセンターみたいな
ところ。
あとは私の好きな化粧品やさん。
ビデオやさん。
あ、野菜は専用の市が週に
2,3回立ったので、そこで。
ひげのハンサムなお兄さんの
店が私の行きつけで、よく
おまけしてもらいました。
そうだ、野菜といえば、農業の
専門家だからというわけでは
ないけど、家でも作ってた。
とはいえ、信じられないくらい
土がひどいので、はやとうりとか
かぼちゃとか・・・あの手のものは
良く育ったけど、とにかく
土がかちかちで、作る作物も
選ばないといけなかった。
洋服屋さんは少ししかなくて
いまいち。
セールのときに安くなったものが
セールが終わると元の値段に
戻ってた。
一番多かったのは布地屋さんか?
オーダーが安かったので、
布は本当に豊富に売ってたな。
で、そのオーナーにアラブ人が
多かったような気がする。
名前がアラブっぽかったから・・・。
オーダーは安いので娘とお揃いを
作ったりした。
愛読していた25ans(ヴァンサンカン)
持って行ってシャネル風とかいくつか
作ったけど、似てるけどいまいちって
感じでね・・・結局持参した日本製を
来てましたけど。
ま、そんな感じかな~。
買い物に行くっていっても本当に
平屋の商店街が100メートルあるか
どうかってところですからねえ。
本屋なんてなかったし。
そういうところはパラグアイに比べると
かなりつまらなかった。
で、月に一度は必ずパナマシティに
ということになったわけです。
食材を仕入れにということでも
あったけど。
つづく・・・・