病院は、アスンシオンではよいといわれる、
サナトリオ・アドベンティスタという病院。
お手伝いさんは不要という方針ではいたものの、
つわりもひどくなり、周りの方からも「職のない
この国の人に働く場を与えてあげることもまた
国際協力のひとつになる」と教えられ、
以前日本人家庭にいたことがあるというティナが
我が家にやってきました。
ものすごーーーーくよく働く人でした。
前の家では住み込みだったようで、未婚の母の
彼女は息子とともに、本当は我が家に住む込むのが
希望のようでしたが、まだまだ私たち夫婦が
その気持ちになれずにいました。
9時から1時まで働いて、4000グァラニー。
およそ400円です。
これでも「え?そんなにあげてるの?」と
いわれる程でしたから、パラグアイ人が
どんな厳しい状況で生活しているかが
お分かりいただけるかと思います。
ああいう国って本当に貧富の差が大きいです。
近所はまあまあの住宅地で、銃を持った
警備員がいる家庭などざらだったし、
お手伝いさんも、あのメンソレータムみたいな
恰好をした人が何人もいるような家庭も
たくさん見ました。
車はベンツ・BMWなどドイツ車が多かったかな?
ボルボなどヨーロッパ系が多かった様な気がする。
うちはカローラでで、公用車として支給されたのが
やはりトヨタのランクルみたいな感じでピックアップ
タイプのもの。
カローラは130万円だった。
カローラにこのお金?というのが正直な気持ちでした。
トヨタの販売会社も移住者の方の経営で、大成功を
おさめた方のようでした。
韓国のヒュンダイ製のものも多かったですね。
でも街中には、フロントガラスが完全にないものとか
タイヤが運転中にコロコロと外れて転がってしまうような
車なんてざらに走っていました。
よくアジアの街角で見かける、トラックの後ろに
山積みの人とか、50ccのバイクなのに6,7人の
人が乗っているとか、、、そんなのもよく見かけました。
本当に貧富の差は大きい。
そしてお金持ちにとって、彼らは人間じゃない・・・って
言うと語弊がありますが、いつも「お手伝いさんは
なんでも盗むから気をつけろ」とか言われて、
それもなんだか悲しいものだな~なんて思ってました。
同じ国民なのにね。
でもボランティアなんかはものすごく盛んなんですね。
ただ、どんな意識をボランティアする側が持っていた
のかはわかりません。
そういう心を持ちながら、かたやお手伝いさんとか
まあ一般・・より下回る人たちへの侮蔑の気持ちが
共存していることが私には理解できなかった。
ま、話はそれてしまいましたが、とにかく私は
アドベンティスタ病院で長女を無事出産しました。
海外での出産事情はみなさんよくご存じと思いますが
通常、翌日には帰っていいと言われます。
私が最初「1週間くらい入院したい」と言ったら
病院側はびっくりしていました。
結局、家のことが心配で、3日目には私も退院して
しまいましたが。
病院自体は快適で、食事もピザだとか私好みの
ものが出たりしてよかったのですけどね。
実家の母が来るわけでもなく、大家さんが
手配してくれた看護婦さんに毎日来てもらって
子供のへその緒がとれるまで面倒見てもらった。
あとはティナの働きが大きかった。
彼女には今もとても感謝しています。
南米の人は…といっても他に知っているのは
チリとアルゼンチンだけだけど・・・子供に対し
ものすごくやさしいんです。
だからティナも自分の子供のように娘の
面倒を見てくれて、お風呂もきっちり入れてくれて
私もだいぶ楽に過ごせました。
みなさんからは、よく海外で出産できたね、と
言われるけど、もうそれは何も知らないものの
強みとしか言いようがありません。
無事に済んだことは本当にありがたいことで
ラッキーだったと今はよくわかりますが。
娘は大家さんの奥様から「パトリシア」と
名づけていただきました。
その子ももう19歳になってしまった。
来年成人式ですよ~。