最初は、いろいろ夫の同じ職場の奥様方に
お誘いいただいたりして、まあそれなりに楽しいことも
あったけど、自分の母くらいの年齢の方ばかりで、
もっぱら、年の近い青年海外協力隊のみなさんや、
やはり夫の大学の先輩でパラグアイに移住している
方々の子供さん・・・つまり2世のみなさんが
遊びに来てくれることが私の楽しみでした。
当時日本で流行っていたのは、「東京ラブストーリー」で
そのビデオを、我が家で協力隊の女の子たちと
かぶりつきで何度も何度も見てました。
でも協力隊のように、自分の意思と技術で頑張っている
みなさんから見ると、やはり専門家夫人というのは
かなりお気楽な立場に思えるようで、もちろんみなさん
「MARIAさんは全然違いますよ」と気遣っていっては
くれるものの、そういう仲間にも完全には入りきれず、
いつも心にあるのは(私だって日本にいたら・・・)
などという、意味のない想いだけだったのは事実です。
毎日の生活は、朝7時ころ起きて、夫を送り出し
掃除。それから習い事に行ったり買い物に行って
昼寝。
そしてなれない夕飯作りには相当な時間がかかって
ましたね。
夜は、ビデオを見たり本を読んだりって感じで。
ああ、そうそう、私はスペイン以来、それまで
好きだったブランド物に一切興味がなくなって
いたのですね。物欲ゼロって感じでした。
価値観が変わったというか、私自身が
自分はこれでいいという思いになったことが
ものすごく大きかったのだと思います。
が、ここでまた私のブランド熱・・というか
物欲が勃発してしまったのです。
たいしたものが売っているわけではなく、
手に入るものは化粧品ばかりでしたが
そんなのを片っ端から買い集めるように
なりました。
人間って自信が持てないときに、何か
代わりのものを探すんですね。
もちろん十分な資産があって、そのブランドに
惚れ込んでいるからという人も多いと
思いますが、何か、虎の威を借る・・・という
部分がやはりあるんだろうと思います。
もともと、そういった華やかなものが好きだった
ことは確かですが、あの貧しいパラグアイの国で
大枚出して、数万円分を購入することが
ストレス解消であり、またある意味アイデンティティに
なっていたのかなと思います。
いやはやお恥ずかしい。
そんなもやもやを抱えながらも、やがて長女の出産を
迎えることになりました。