再び甲斐バンド | MARIA MANIATICA

MARIA MANIATICA

ASI ES LA VIDA.

昨日入れていただいた甲斐版のグルっぽの

皆様の熱い思いに心打たれているMARIAです。


甲斐バンドの思い出は、古ーいものしか

ありませんが、何か皆様が思い出す

きっかけになるかもと思い、昨日に続きます。


甲斐バンドを本格的に好きになったのは

たぶん高校1年(計算しなくてよろしい)。

きっかけは覚えていないけど、あの

名アルバム「英雄と悪漢」が最初だと思います。


それ以前にぎんざNOWで見かけたりしていたけど、

当時はまだ、特に好きというわけではなかった。


一番甲斐バンドとして印象に残っているのは

テレフォンノイローゼで、その感想は

「何これ?変な歌」だったのは確か。


というわけできっかけは全く思いだせないけど

甲斐バンドにはまっていった私なのでした。


はじめていったライブは、前述した

新宿のルイードで、テーブルチャージが

1000円程度だったような気がします。

ほかに渋谷のライブハウス(ジァンジァン?)、

にも出ていたように思うけどこれは定かではないし

使う路線の関係で行ったことはなかったです。

私にとっては、人生はじめてライブでもありました。


ラストはポップコーンをほおばってとかが多かったかな。

あのジャーンジャンジャンチャカチャカチャカ・・・という

イントロと、照明の点滅が映画のショットをコマ送りで

見ているようで「はあああ、かっこいい!」と心底

思いました。


ライブハウスは狭いけど、すぐそこに甲斐さんがいて

汗が飛んできたり、マイクなしでも声が聞こえたりで

とってもとっても良かったですね(こんな言葉では表現不可)。


当時、東京23区の電話帳を見ると、杉並区成田東に

「甲斐祥弘」という名前が載っていて、友人と

「これ絶対甲斐さんだよね~」「電話かけたいね~」などと

話題になったものですが、良い子の私たちは

迷惑になってはいけないと、自嘲したのでした。


もしかしたら記憶違いかもしれませんが、

甲斐さん杉並に住んでいる、と聞いたことがあったので

たぶん間違いないと思うのですが、事実は結局

闇の中のままです。

どう思われますか??文字は全く本名と一緒ですよね。


甲斐バンドがライブハウスからコンサートホールで

ライブを行うようになったのもこのころだと思います。

詳細は実家にある当時のチケットなどを見れば

思い出せるかも知れません。


足しげく通ううちに(いやそれほどは行ってないけど)

顔見知りも増えました。

とくに仲のよかったのは、秋田県のさとこちゃんという

女の子で、彼女は最初の妻でミュージックライフの

編集長だった高橋女史の高校の後輩でもありました。


私たちは、甲斐バンドファンの中ではほんの子供だったので

アダルティでお化粧ギンギラのお姉さま方にも

よくしていただきました。

その中のどなたかが「甲斐さんのファンクラブを作ろう」と

奔走されていましたが、結局成し遂げることは

できませんでした。


今と変わらず、ライブ会場での撮影、録音はかたく禁止

されていましたが、ときどき悪魔の取り付く私は

録音可能となったウォークマン何代目かを愛用して

ひそかにライブを録音していました。


あああ、そうだった。いま思い出したけど、

ずっと後になってやはりライブで仲良くなった女の子に

そのテープ類を貸してあげたら、のらくら逃げられて

結局戻って来なかったことがありました。

何度も何度も手紙を書いたり、電話をしたりしたけど

結局それきりです。非常に残念。


・・・てなわけで、まだまだ不定期に続きます。

細かい記憶が間違っている可能性は十分あります。

訂正個所などありましたら、お知らせいただけると

ありがたいです。


ところで、ぐるっぽの皆様もアラフォーが多いようですが

ってことはレコードからはじまってますよね。

その後CDになっていったとき、すでに持っているものも

すべて甲斐(買い)直されたんでしょうか?