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ドSなブログ

基本アホなことしか書きませんな。真面目なことを書いた時は発熱してるはずです。

今の大河ドラマで度々花魁道中の場面が出てくるんだけど、これを見て思い出した。



俺、高校生の時の体育祭の仮装で、クラスで花魁道中やったんだよね。花魁は男の友達が女装してさ。


俺の役どころは花魁の後ろの傘の人だったんだけど、こんな傘の差し方や花魁の歩き方なんて高校生じゃ知らないじゃん?


この時、友達のお母さんから演技指導が入ったんだよね。どう言う経緯で演技指導に入ったかなんて覚えてないんだけど、演技指導があったのはハッキリ覚えてる。あと、小物として、この柄の長い和傘も本物を使わせてもらった。貴重品として取扱注意だったから、これもハッキリ覚えてる。


今思うと、俺の通っていた高校は、なぜか男が女装する機会が多く、もしかしたらそんな伝統が有ったのかも知れない。俺の頃はとっくに共学だったけど、元々男子校だしね。


しかし、おばさんは、なぜ花魁道中の所作を知っていたり小物を持っていたのだろう?ギリギリ昭和の話だから、まだ伝え残っていたのかも知れないな。ホントにいい時代に生まれたよ。

人は皆、それぞれが大なり小なり何かしらのコンプレックスを抱えて生きていると思う。


他人から見たら些細なことだったりもするし、その一方で同情を禁じ得ないことだったりもするが、いずれにせよ、本人にしてみりゃ大問題。それが解消されていれば(または最初から無ければ)、人生が違ったものになったとすら言い切れる。そこまでのものだから気に病むわけでさ。


もちろん俺もいくつかのコンプレックスがある。その多くが外見に関するもので、美醜コンプレックスとでも言おうか。俺が若い頃は単なる「悩み」で済まされたことも、今の時代なら心の病になるのかも知れないね。醜形恐怖症だっけ。


コンプレックスは、年齢(経験)を重ねるとともに解消されるって聞いたことがあるんだけど、果たして本当にそうだろうか?


俺個人の愚痴っぽい話で悪いんだけど、俺は年齢を重ねた今でもコンプレックスは解消されないし、それどころか、人生の終末期に差し掛かった今だからこそさらに嘆き悲しんでいるよ。


風呂上がりに洗面所の鏡を前にして

「せめて普通の人と同じだったら」

と恨み節がループさ。もう本当に嫌。


この歳になると、やはり身体の様々部位に衰えは隠せないし、これから先に希望に満ち溢れた未来があるわけでもなし、あとは(美醜と言う意味では)劣化し続ける人生を残すだけだからね。


逆に、自分には他の人より恵まれたところもある。だから結局はプラマイゼロとも言えるんだけど、コンプレックスってそう言うものじゃないじゃん?他のことと差し引きの計算とか、他人は気にしていないとか、そう言うことじゃないじゃん?そんなことで解消される程度なら、最初からコンプレックスにならないと思う。


以前から書いている通り、俺のコンプレックスの一つは体毛なんだけど、多分これは脱毛すれば解消される。俺が若い頃に今ほど永久脱毛が安かったら絶対やっていたと思う。


美醜でも、日々のお手入れでも、少しでも毛が気になる部位があるなら若いうちに永久脱毛しといた方がいいよ。男も女も、できるだけ早くにね。


脱毛が早ければ早いほど人生の無毛期間が長くなる計算だし、それに、若い時の方が自分にお金を使えるからさ。俺調べでは、脱毛経験者の100%が、して良かったって言うよ。なので、これはほぼ間違いない説だと思っています。


あと、俺は美容整形も肯定派ですが、これは術後に良かったと後悔と半々聞くね。大きな美容整形は慎重にね。


で、俺ですが、2〜3年に一度やってしまうんですよ。まるで何かに取り憑かれたように、毛抜きでの脱毛を。その後、肌のダメージが回復するまで数ヶ月はかかります。シミも残ったりします。それをわかっていてもやってしまうので、もう狂気の沙汰。正直、病気だと思いますよ。


この衝動に駆られた時はどうすりゃいいんだろ。理性で押さえ込む以外に解消する術がわからない。この時は、色んな事が本当に嫌になるんだよ。何もかも。


男女問わず、このアメブロ経由で俺と会った事がある人も、そんなにもコンプレックスがあるようには見えない(見えなかった)と思う。日頃、それに囚われて生きているわけじゃないからね。


しかしアレだ。たまたま読んでいる君も、また同じように何かしらのコンプレックスを抱えて生きているんだよなぁ、きっと。何か俺で役に立てる事が有れば、その時は言ってくれ。

仙台に有った小田原遊郭。

現代では道幅以外に物理的な痕跡は残ってないのだけど、往時の大妓楼「安積楼(あさかろう)」の跡地に「コーポラスあさかや」という、屋号を残した集合住宅が建っていた。


そう、建っていたのである。


先日通ったら、跡形もなくなっていました。


なんて事を!

と思いましたが、俺の持ち物ではないし、俺が嘆くのは筋違いってものですw


跡地には新たなマンションが建つみたいです。どのようなマンションになるのかわかりませんが、再び「あさか」の文字が入るといいなぁとは思っています。これも俺が望むのは筋違いですけどねww


先日ブログに書いた資料(全国遊郭案内)を読むと、小田原遊郭に数ある妓楼の中でも、安積楼は一等格。つまり高級店だったとのこと。木造5階建てだったとか。俺はこの時代に生まれたかったよ。


ずっと欲しいと思ってて(できれば復刻版じゃなくオリジナル)、あちこちにアラートかけてたんだけど全然引っ掛からなくて、半ば入手を諦めていた本があったんですよ。


全国遊郭案内


しょうがないから復刻版のKindleでお茶濁そうかと思っていたら、何と!


国会図書館にあって、デジタル化されていた。これがあると遊郭巡りが捗るわけよ。


早速そのリンクを載せますぜ!



これはログイン無しで誰でも読めます。ブックマークしといて損はない。他にも検索してみて。色々出てくるから。


あと、国会図書館の利用者登録しておくと色んな本を参照できるから、これはオススメですよ。



良かったら皆様もぜひ。

新しい理論を思いついたので忘れないうちに書き殴っておく。いつか整理したいけど、今日は思いつくままに。


さて

「箸が転んでもおかしい年頃」って言葉は知ってるな?若年層の女性、主に10代半ば頃のことだと思うんだ。


でもこれ、実は男も同じだと思う。振り返ると、つくづくそう思う。


そして、何でもないことがおかしくて、面白くて、よくわからん笑いを生んでいたその環境がすなわちもう

「青春」

と同義でいいと思う。定義と言ってもいいかも。


あの頃、もちろん辛いことだって嫌なことだっていくつもあったよ。だけど、毎日が楽しかった。


大人の今のように、辛いことや嫌なことをポジティブに捉えて楽しいと消化する術なんて持っていない。


単純に辛いことより楽しいことが圧倒的に多かっただけ。ネガティブとポジティブの物量の差が明確だったのだろう。


あの頃を「楽しかった」と思い出せる人は青春を謳歌したんだと思う。逆に「楽しいことなんて無かった」と思い出す人は、つまりは青春してないのさ。


これは俺の以前からの持論なんだけど、青春を謳歌してこなかったオッサンは、ある程度の年齢になった時にほぼほぼ拗らせる。


いいか?拗らせる人が多い、じゃないぞ。

「ほぼ拗らせる」

だ。100%とは言わないが99%のオッサンが拗らせる。特に、ある程度の成功を築いた人は必ず拗らせるな。


男を選ぶ時は、それなりに楽しんできた男を選んだ方がいい。つまらん思春期を歩んできた奴は怖いぞ。


勘違いしてほしくないのは、つまらないと思われがちな真面目になガリ勉君でも、生活の中に楽しみを見出しいて、実は「楽しかった」と振り返れる男は青春を謳歌してきた奴だ。青春の形は人の数だけあるのさ。これは悪くない。


遊び人と真面目の比較じゃないんだ。楽しいか楽しくないかの比較だと思っていい。


そんなことから思うに、青春だけではなく、そこまでの人生を振り返った時に「楽しかった」と言うか「楽しくなかった」と言うかで選んでもほぼ同じだと思う。


他人から見てどうこうじゃなく、本人がどう思うか、だね。他人からの評価と自分の評価は意外と違ったりするからね。


もしこの理屈が合っているならば、全ての女性に知ってほしいね。特に若い子。変な歳上にハマって欲しくないし、騙されて欲しくもない。


箸が転んでもおかしい年頃を「楽しくなかった」過ごし方をしてきた奴は、自ら楽しくなくしてしまった理由があると思うんだ。


そして、その時を取り戻そうとして、いい歳したオッサンが人生を拗らせてしまう。悪いけど、危険人物になる可能性が低くないと思うんだよ。


時はね、絶対に戻らないんだ。


社会的地位を得た人をも狂わせてしまうほどの魅力があるのが青春なのよ。全ての人が平等に、それを無償で与えてもらっているはずなので、活かすも殺すも本人次第だったはずさ。


俺?過去の俺のブログを読めば、俺の人生が楽しかったか楽しくなかったかなんて問うだけ野暮だと思いますよ。