ドSなブログ -2ページ目

ドSなブログ

基本アホなことしか書きませんな。真面目なことを書いた時は発熱してるはずです。

男の魅力は何だろうね?

じっくり接してわかる奥深いところの性格的なものなんかはどうでも良くて、割とわかりやすい魅力の話ね。初対面でもわかるような。


もちろん人によって魅力に感じるところは違うだろう。


一般的に一番わかりやすいのは、いわゆるイケメンだよね。次はスタイルとか雰囲気かなー?


俺は男の魅力と言えば「声」なんすよねぇ。


理想は竹野内豊の声。ついでにイケオジじゃん?若い頃もかっこよかったけど、今が一番かっこいいなって思う。俺もあんな声に生まれたかった。マジであの声で生まれたかった。そしたら違う人生があったに違いない。


俺と会ったことがある人はわかると思うけど、竹野内豊とは対局にあるような少し特徴的な高い声だからね、俺は。


今日、竹野内豊の声を聞くために映画を観てきた。元々戦記ものが好きというのもあって、観ないはずがないよね。


映画を観に行けとまでは言わないけど、予告編の竹野内豊くらい観といてよ。


ちなみにTOHOシネマズだと水曜日は1300円らしいよ。図らずも安く観れて助かったわw


肝心のその映画なんだけど、ストーリー的には傑作とは言えないけど、竹野内豊を観に行く甲斐はあるね。


あ、声はずっとコンプレックス。なのでドス効かせた声とか出せないのよねぇw

何のこっちゃ?

というタイトルだけど、いわゆるコスプレで女装した男の子が何らかの理由で自らの内にある「女性」性に目覚め、結果としてノンケなのに男とやってしまうと言う話。


これ、かなり多いらしいんですよ。


子供の頃から男が好きだった、あるいは今で言う性同一性障害に何となく気付いていた人ならいいんだけど、まったくそんなことなく、何なら女の子大好きな男だったのにそうなってしまい、そして、最終的にはその世界から抜けられなくなって、オトコの娘系の風俗で働くとかあるよ。


後付けでその世界に入った子は、割と明確にわかる。男のまんまでもないけど、真剣に女になろうとしてないもん。


性同一性障害とかで真剣に女になろうと思う子は、まず玉を取るし、ホルモン注射も打つ。髪の毛も地毛を伸ばす。もちろん整形もするし、完全な性転換手術を受ける人だっている。可能な限り、女の子を目指すのよ。


そうじゃない子は、上記と真逆。髪の毛はウィッグだし、女性とも普通にできる。そして素の男の姿を「B面」と呼んだりもする。コスプレはするけど、本気で女を目指しているとは思えない。どこかに男を残している。声も男。


きっかけは人それぞれだけど、コンプレックスのある子が、コスプレで「かわいいかわいい」言われてるうちにその気になって、ホモのオジとやっちゃうのが多いらしい。


俺もかつて、自分がバイ(またはゲイ)じゃないかと思って色々試してみたけど、女性しか興味ないみたい。今のところ。


他には、これは聞いて割と衝撃を受けたんだけど

『女に相手にされないから男としてる』

というきっかけがある人もいる。

1人しか知らないけどね、そんな人w

俺は人生で最も尊いものは「青春」だと思っています。家族とか子供とか、そういうのは抜きね。あくまで個人個人が持つもの中で、の話。


では青春って何?いつまで?


何度かブログにも書いているけど、8月7日は俺が生まれて初めて女の子にフラれた記念日なのね。仙台の七夕祭りの中日だから、仙台に関わって生きている限り、一生忘れることができないと思うw


だから毎年あの日のことを思い出す。


場所はここ。仙台のタワービルというビルの前のバス停。時間は何時か覚えてないけど、夜だった。


この時、俺は17歳。高校3年生でしたよ。


とても悲しかった。辛かった。でも今となってはいい思い出だよ、もちろん。


紛れもなく青春だった


この後、この子の友達と付き合うことになり、それは強烈に青春だった。結局はフラれたが、今も毎日思い出す。1日たりとも忘れたことが無い。これも書いたかな?今でも好き。死んでもいいくらいに。


他にも色んな青春があったんだけど、全部いい思い出だよ。今思うと、本当に幸せな人生だった。


たまにさ、どこかのオジが若い子にリソースをぶち込んで、最後に逆上して殺したりしちゃうじゃん?


あれって、青春を求めてるんだと思う。青春であるはずの時、我慢して勉強していたのか、そもそも興味がなかったのか、理由はわからないけど触れてこなかった青春ってやつを、今になって取り返すように狂っちゃうよな。


でも、無理なんだよ。青春は限られた期間の一瞬しかない。それが過ぎ去ってしまったら、その後は、いくら金を使おうが、努力しようが、パチモンの青春は得られても、本物の青春は戻ってこない。


いいか?絶対に戻ってこないんだ

わかるな?


だから女の子や悪事や博打やシ◯ブに全てを注ぎ込んでた…言い換えれば依存していた俺は幸せなんだよな、実は。


じゃあ、どうして年齢が行くと青春は無くなるんだろうか?青春はいつまでなんだろう?一昨日、少し考えたら簡単に答えが出たよ。 


チコちゃんは知っている

青春と大人の境目は分別の有無〜


分別のある大人になった瞬間、青春は目の前から姿を消す。そして二度と戻ってこない。


良く思い出してみ?


あなたが青春だったと思っていた頃を思い出すと、無茶してなかったか?その無茶、今できる?正しいと思う?無理だろ?違うだろ?


もし今突っ走るとしたら「無茶だ」ってわかってて突っ走るじゃん?でも青春当時は、自然に、さもそれが当然のように突っ走ってたじゃん?無茶なんて思ってなかったじゃん?


分別がついた時に「青春の神様」は君の下を離れていってしまうんだ。そして次の憑依先に取り憑く。離れていった神様は、残念ながら永遠に戻ってこない。


嗚呼、戻りたい。

かつて同地にあった遊郭の大妓楼の屋号(安積楼 あさかろう)を冠したマンションが仙台市内にあったのですが、去年くらいに解体されてしまいました。


往時の名前がまた一つ消えて行くのが残念だなーと。


それで、さっきたまたまここの前を通ったんですが、今時の洒落たアパートが建っていたんですよ。



メゾネットタイプとでも言うのかな?かっこいいよね。


で、何と言う名前か気になるじゃない?プレート探したらこれ。



おお!

名前が残されている。

ナイス!オーナー。


胸熱だよマジで!

俺の友達で、腰痛で人生が激変した男がいる。もちろん悪い方に変わった。

 

俺は奴が本当に好きだった。奴以上に、俺と音楽的な趣味やセンスが一致する人間は後にも先にも見たことが無い。そして、彼もドラマー。バンドは組んでいなかったけど、地元では名の知られた上手いドラマーだったよ。

 

出会ったのは仙台だけど、互いに隣同士の自治体の生まれ育ちで、年齢も同じ。とあるバンドのライブ後の打ち上げの飲み会で初めて会ったんだけど、その日の内にはまるで旧知の友のように仲良くなった。

 

もちろん好きなミュージシャンも同じさ。だから、他の誰にも理解されない領域で音楽を共感できた。

 

当たり前じゃん。同じ文化圏の同い年で、同じ音楽を聴きと同じ楽器を奏で、ほぼ同じ道を歩いてたんだもの。互いの存在に気付かなかっただけでさ。

 

例えば、互いが好きなミュージシャンの新譜が出たとするじゃん?飲めば、その一曲一曲の互いの批評、いやそんなもんじゃないな、「お?」と思えるオカズ(ドラムのフィルイン)で盛り上がり、いや待て、何ならスネアの一発一発やハイハットの刻み一つだけでも酒飲みながらいつまでも話し合えたものだ。

 

そこで出る言葉は単純。一方が何かを切り出せば、もう一方は

 

「んだがら!」(東北の方言で強い同意の意)

 

これしか出ない。と言うより他の言葉を出す必要が無い。そこまで感性が合っていた。

 

奴と音楽の話をするのは最高に甘美な時間だった。あそこまで踏み込んだ音楽の話は奴以外とはできないと思うので、あんな時間はきっともう俺には訪れないだろう。

 

違う価値観の人と話せば、刺激になったり、新しいことを知れるので、人生の幅を広げるという意味では違う音楽観を持つ人と話す方がいいと思うけどね、あそこまで一致するともう狭い世界だけでいいと思っちゃうw

 

そして、奴はバカだったけど、俺はバカだからこそ好きだったと思う。しかし、今はもう会えない。

 

と言っても死んだわけではない。いわゆる行方不明だ。俺が連絡しても電話は出ない、他のツールも未読スルーだよ。今はもう連絡すらしてないし、最後の連絡から10年は経った気がする。 

 

何年前だったかなぁ。20年くらい前かな?ある日、奴は言った。

「腰が痛いんだ」

かなり痛そうだ。

 

その後のある日、奴は杖をついてきた。医者から言われたらしい。そのあたりから仲間内の飲み会の誘いも断るようになってきて、なかなか会えなくなった。

 

別な機会に、鬱病を患ってるらしいと他の奴から聞いたのだが、前後するタイミングで離婚したとも聞いた。

 

そんな状態でも生活保護も受けてなかったから、恐らく貯金を取り崩して暮らしていたんだと思う。その後は生活保護になったけどね。

 

ハッキリ言ってしまえば、どんどん転落していった。俺はいつも心配だった。

 

その後、無理くり誘って久しぶりにサシで会ったのだが、当たり前だけど俺は心配していたわけで、色々聞いたよ。

 

どうも鬱病は長年患っていた腰痛が遠因らしい。もしかしたら順番は逆かも知れない。

 

俺は

「そんなことあんのかよ!」

と驚いたが、本当らしい。

俄かに信じがたかったけど、嘘をつくやつではない。

そして見栄っ張りなので弱音やネガティブな変化を言うことも無い。絶対にね。

 

本人は言わなかったけど、離婚も重なってることを知っていた俺には心中察するに忍びない話だった。そして、奴が持っていた処方薬の種類の多さに「そうじゃないだろ?ドクターよ」と内心思った。かなり辛そうだったので、自分で注射を打つことも軽く勧めてみたが、それは断られたよ。

 

恐らく、会ったのはこれが最後。

 

話としては他にも色々あったんだけど、奴の名誉のために書かない。特定されたら困るしな。

 

その後も俺はずっと心配している。もちろん今もだ。どんな状態であれ、俺は奴に会いたい。可能であれば何とかしてあげたい。少なくとも俺にとっては必要な男だった。ただ、奴にとって俺が必要かどうかはわからないw

 

何でこんなことを書くかと言うと、少し前に俺なんかより何十倍も奴と仲が良く、転落してからも近所に住まわせて何かと面倒を見てきた男から

「とっくの昔に絶縁した。奴の話なんて聞きたくもない。」

と聞いて悲しくなったからだ。何で俺が悲しくなるのか全く意味不明だが、聞いた時は涙目になるほど悲しかった。思い出したら今また涙目になってきた。

 

話を聞いた後しばらく悲しみに暮れたのだが、今はそんなことないよ。寂しいは寂しいけどね。

 

そして俺は今、奴と同じことを感じている。

実はここしばらく、過去イチの腰痛(坐骨神経痛)に見舞われていて何もかもやる気を失っているんだよ。仕事をしていると気が紛れるから、休まず1ヶ月働いたんだけど、今度はその糸が切れて月曜日からずっと休んでるw

 

医者も行ってない。めんどくさくてww

あ、元気は元気なんすよ。心配いらないほどに。

やらなきゃいけないことにやる気が起きないだけ。

 

腰痛は人生を変える。しかし俺は鬱病になることは無いと思う。性格的にその要素が少ない。それに、もし鬱だと思ったら、俺は医者など行かず、家出した後に迷うことなく自分で注射を打つね。

 

そんで、以前奴から聞いた、腰痛になってからの人生の変化のほんの一端は理解できた気がする。長期間継続する腰痛で思考はネガティブになり、人生の質をゆっくりと確実に落としていく。

 

しかし、奴にも死ぬまでにはもう一度会いたいなー。