俺の友達で、腰痛で人生が激変した男がいる。もちろん悪い方に変わった。
俺は奴が本当に好きだった。奴以上に、俺と音楽的な趣味やセンスが一致する人間は後にも先にも見たことが無い。そして、彼もドラマー。バンドは組んでいなかったけど、地元では名の知られた上手いドラマーだったよ。
出会ったのは仙台だけど、互いに隣同士の自治体の生まれ育ちで、年齢も同じ。とあるバンドのライブ後の打ち上げの飲み会で初めて会ったんだけど、その日の内にはまるで旧知の友のように仲良くなった。
もちろん好きなミュージシャンも同じさ。だから、他の誰にも理解されない領域で音楽を共感できた。
当たり前じゃん。同じ文化圏の同い年で、同じ音楽を聴きと同じ楽器を奏で、ほぼ同じ道を歩いてたんだもの。互いの存在に気付かなかっただけでさ。
例えば、互いが好きなミュージシャンの新譜が出たとするじゃん?飲めば、その一曲一曲の互いの批評、いやそんなもんじゃないな、「お?」と思えるオカズ(ドラムのフィルイン)で盛り上がり、いや待て、何ならスネアの一発一発やハイハットの刻み一つだけでも酒飲みながらいつまでも話し合えたものだ。
そこで出る言葉は単純。一方が何かを切り出せば、もう一方は
「んだがら!」(東北の方言で強い同意の意)
これしか出ない。と言うより他の言葉を出す必要が無い。そこまで感性が合っていた。
奴と音楽の話をするのは最高に甘美な時間だった。あそこまで踏み込んだ音楽の話は奴以外とはできないと思うので、あんな時間はきっともう俺には訪れないだろう。
違う価値観の人と話せば、刺激になったり、新しいことを知れるので、人生の幅を広げるという意味では違う音楽観を持つ人と話す方がいいと思うけどね、あそこまで一致するともう狭い世界だけでいいと思っちゃうw
そして、奴はバカだったけど、俺はバカだからこそ好きだったと思う。しかし、今はもう会えない。
と言っても死んだわけではない。いわゆる行方不明だ。俺が連絡しても電話は出ない、他のツールも未読スルーだよ。今はもう連絡すらしてないし、最後の連絡から10年は経った気がする。
何年前だったかなぁ。20年くらい前かな?ある日、奴は言った。
「腰が痛いんだ」
かなり痛そうだ。
その後のある日、奴は杖をついてきた。医者から言われたらしい。そのあたりから仲間内の飲み会の誘いも断るようになってきて、なかなか会えなくなった。
別な機会に、鬱病を患ってるらしいと他の奴から聞いたのだが、前後するタイミングで離婚したとも聞いた。
そんな状態でも生活保護も受けてなかったから、恐らく貯金を取り崩して暮らしていたんだと思う。その後は生活保護になったけどね。
ハッキリ言ってしまえば、どんどん転落していった。俺はいつも心配だった。
その後、無理くり誘って久しぶりにサシで会ったのだが、当たり前だけど俺は心配していたわけで、色々聞いたよ。
どうも鬱病は長年患っていた腰痛が遠因らしい。もしかしたら順番は逆かも知れない。
俺は
「そんなことあんのかよ!」
と驚いたが、本当らしい。
俄かに信じがたかったけど、嘘をつくやつではない。
そして見栄っ張りなので弱音やネガティブな変化を言うことも無い。絶対にね。
本人は言わなかったけど、離婚も重なってることを知っていた俺には心中察するに忍びない話だった。そして、奴が持っていた処方薬の種類の多さに「そうじゃないだろ?ドクターよ」と内心思った。かなり辛そうだったので、自分で注射を打つことも軽く勧めてみたが、それは断られたよ。
恐らく、会ったのはこれが最後。
話としては他にも色々あったんだけど、奴の名誉のために書かない。特定されたら困るしな。
その後も俺はずっと心配している。もちろん今もだ。どんな状態であれ、俺は奴に会いたい。可能であれば何とかしてあげたい。少なくとも俺にとっては必要な男だった。ただ、奴にとって俺が必要かどうかはわからないw
何でこんなことを書くかと言うと、少し前に俺なんかより何十倍も奴と仲が良く、転落してからも近所に住まわせて何かと面倒を見てきた男から
「とっくの昔に絶縁した。奴の話なんて聞きたくもない。」
と聞いて悲しくなったからだ。何で俺が悲しくなるのか全く意味不明だが、聞いた時は涙目になるほど悲しかった。思い出したら今また涙目になってきた。
話を聞いた後しばらく悲しみに暮れたのだが、今はそんなことないよ。寂しいは寂しいけどね。
そして俺は今、奴と同じことを感じている。
実はここしばらく、過去イチの腰痛(坐骨神経痛)に見舞われていて何もかもやる気を失っているんだよ。仕事をしていると気が紛れるから、休まず1ヶ月働いたんだけど、今度はその糸が切れて月曜日からずっと休んでるw
医者も行ってない。めんどくさくてww
あ、元気は元気なんすよ。心配いらないほどに。
やらなきゃいけないことにやる気が起きないだけ。
腰痛は人生を変える。しかし俺は鬱病になることは無いと思う。性格的にその要素が少ない。それに、もし鬱だと思ったら、俺は医者など行かず、家出した後に迷うことなく自分で注射を打つね。
そんで、以前奴から聞いた、腰痛になってからの人生の変化のほんの一端は理解できた気がする。長期間継続する腰痛で思考はネガティブになり、人生の質をゆっくりと確実に落としていく。
しかし、奴にも死ぬまでにはもう一度会いたいなー。