俺の世代なら大体知ってると思うけど、それ以下の世代は知らないかも。
小人症とか低身長症って言うのかな?明らかに小さい人たちがプロレスをするわけよ。女子プロレスの前座だけどね。でもプロレスって言っても、ガチな勝負もあったものの、コミカルな動きで笑いの要素の方が大きかった。余談ですが、当時の映像はYouTubeで見れます。
全盛期にはテレビにも出たくらいだけど、これが彼らには不運だった。お約束の人権団体による抗議から始まって、釣られるように一般の方の抗議も。テレビからは消え、それでも抗議が収まらず、興行自体がなくなった。
抗議は結構。しかし抗議するなら対案を出すべき。何故ならば、彼らはこれでメシを食い、なおかつ幸せであったからだ。
抗議されて興行をなくせば、彼らは職を失い、普通の職に就けない人間たちなのだ。そこまでの配慮が無い時点で、抗議者のマスターベーションに過ぎない。人として余りに薄っぺら過ぎる。小人プロレスは薄っぺらいヒューマニズムに殺されたと言ってもいいかもしれない。
なぜならば、そもそも彼らを人として扱ってないのは、対案無き抗議をしていた者ども自身だ。プロレスを観て笑っていた者たちは、障がい者を観て笑っていたのでなく、彼らのコミカルな動きに笑わせられ、そして、彼らのような小さい者じゃなければできない技に拍手し、時には感動さえ覚えていたはずだ。
少なくとも小さなレスラー達は「笑わせている」という大きなプライドを持って仕事していた。男子プロレスと同じような技を出すとミーティングで叱責されたという逸話が残っている。
そして、飽く無き探究心を持って、小さな彼らにしかできない技を常に研究し、仲間同士で切磋琢磨し、立派なエンターテイナーとして活躍していたのに、抗議者、否、クレーマーたちは収入だけではなく、人として大切なプライドまで奪っていった。その対案も出さぬまま、無責任に。
今は障がい者も仕事ができる。福祉施設などでパンやクッキー焼いて売ってたりするの見たことないですか?低身長症の人達は、小さいだけでそれ以外は普通なので一般企業の障がい者枠で入れるかもしれないけど、当時は時代が違う。
もっとも、レスラー達は障がい者手帳は取らずにいたらしいけど。それもプライドか。
ウィキペディアによると、とある女子レスラーはこう言ってたらしい。
「『見世物で何が悪いの?こいつら、プロレスやって幸せなんだよ』って思っている。プロレスでカネを稼げて飲みにも行けるし、女も買える。最高に幸せなんだよって。かわいそうっていう考えを持った時点で、ボランティアの人たちは大きな差別をしてると思う」
全くだ。
見てる方は差別なんでしていなかった。差別を助長すると言ってたクレーマーどもが差別していただけだった。
薄っぺらい者どものによる似たような構図は今なおあちこちで見られる。その人の幸せなんて、本人しかわからない。
人は意見する時、あるいは抗議する時には、自分の価値観を押し付けるのではなく、対象者の気持ちまで推し量る必要があるのではないだろうか。
もっとも俺のこの考えすらマスターベーションであって、誰彼に理解して欲しいとは思っていない。ただ書き散らかしているだけです。でも、誰か1人でも何かを考えるきっかけになれば幸甚です。