肉屋の惣菜 | ドSなブログ

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基本アホなことしか書きませんな。真面目なことを書いた時は発熱してるはずです。

お肉屋さんの片隅で売っているお惣菜は美味しいと決まっている。多分、江戸時代くらいからwww

 

しかし、東京や大阪はまだ商店街が多いので、そういう店も多いけど、全国的に見ると絶滅危惧種かも知れない。

 

俺の田舎には、もう一軒も無いかも。

 

中学生の頃、毎週土曜日だけ英語の塾に通っていた。英会話ではなく、学校の授業の塾。自分でいうのも何だが、元々英語の成績は自分の中では抜群に良く、正直、塾に行く必要はなかったのかも知れない。

 

でも、当時、仲のよかった友達が通っていたというのと、将来的には海外で働いてみたいと言う夢(=英会話必須)があったので、親に頼んで通わせてもらってた感じだったな、確か。

 

塾って言っても、今みたいな綺麗な塾ではなく、一軒家の2階の一室を教室にし、そこの家の爺さん(英語ペラペラ)が教えると言う昔ながらの私塾だった。この爺さんがいたのもここに通う一因で、違う国の話を聞くのが毎週の楽しみだった。

 

当時は土曜日も午前中だけ学校の授業があったので、一度帰宅して昼を食べ、夕方くらいに友達と待ち合わせしてチャリで塾通い。

 

塾が終わるのが20時頃。その塾の近くに肉屋が有って、俺ら仲良し3人組は腹も減ってるし、必ずそこに寄り、お惣菜を買いーの、市内中心部を流れる河原でそれを食べながら話すのが毎週末のルーティーン。

 

お惣菜を買うと言っても、中学生の小遣いからなので200円かそこらだったと思う。使ってもせいぜい300円くらいかな。

 

しかし、その肉屋のオヤジが粋だった。

 

肉屋の閉店は19時30分。でも、土曜日だけは俺らが行くまで開けてまっててくれる。そして、一通り注文を聞き終わると、余った惣菜からあれもこれもとサービスしてくれる。それも、今思うとオヤジも女将さんも、笑顔で、それも親が子供を見てるような満面の笑顔で俺らを待っててくれるし、サービスしてくれる。

 

毎週お惣菜が有ったので、俺らのために取っておいてくたのかも、とさえ思える。

 

そんなオヤジだったから、たまに「勉強しなよ」なんて言われてもちっとも嫌味じゃなく、調子コイてた俺らも素直に聞けたものだ。

 

その後、高校に合格し、当然塾通いもなくなり、他にも楽しいことが一杯有ったりで、しかも通学路とは逆の方向にある肉屋のことは頭の中からすっかり消えていた。

 

大学生にになり、たまたま肉屋の前を通ったら、店はなく、普通の一軒家になっていて少し寂しかった。

 

もっと大人になって、社会で…東京という土地柄もあったんだと思うけど、粋な大人たちを見てきては憧れた。当然、そこに近づきたいと思って生きてきたし、今もそう思っている。

 

そんな中でも色んな大人がいるわけで、仲間内でズルして自分だけ儲けようとか考えてる輩は結構多い。そんなやつらは嘲笑の対象でしか無いし、下手したら嘲笑するのもアホらしくしか感じない。関わる時間が無駄っつーか、例え自分が血を吸われても、それ以上関わりたく無い蚊とかヒル程度の存在として扱われていた。何故ならば、粋とは真逆な生き方だからだw

 

東京で社会人になってから知ったと思った「粋」な大人だけど、自分も結婚して子供ができて、他人の子供も愛すべき存在として見れるようになった時、フッと気づく。

 

あれ?

俺の「粋」の原点って、肉屋のオヤジじゃね?

 

肉屋に行かなくなって、早30年以上。あのオヤジももう生きてないだろう。そもそも、どこの誰かわからんw

 

でも、2年間もの間、毎週毎週微笑みかけてくれたご夫婦の心遣いは一生忘れないし、自分自身もそういう大人でありたいと思う。

 

その精神を次世代に渡していけば、あのオヤジも草葉の陰で笑ってくれるだろう。40年前のあの日のように。

 

思い出しながら書いてても、薄っすら涙目www

 

とは言え、いずれ俺もそちらに行くので、その時にお礼ができれば。

 

まあ、まだ生きている可能性も否定できないので、縁起でもない書き方ではあるのだがwww