「赤ペン」デビュー。それは不可逆な転換点だった。静脈に直接流し込む悦びを知った俺は、さらなる深淵を求め、手当たり次第に売人への接触を繰り返す。
今のようにSNSで簡単に品物が届く時代ではない。裏モノの伝言ダイヤル、怪しげな掲示板の隠語、不良のツテ。苦心して手に入れた「窓口」こそが、俺の生命線だ。
売人を探し回る行為。それは己の飢えを満たすためであり、同時に「ライターとしての取材」という大義名分。この二律背反が絡み合い、俺のブレーキを完全に破壊していく。
「これは仕事だ」
「現場を見るための必要経費だ」
自分に言い聞かせ、慎重になるべき領域へ躊躇なく、否……前のめりに踏み込む。そこにあるべき恐怖など、最初から1ミリも存在しない。あるのは、深淵に近づくほどに研ぎ澄まされていく全能感と、己の好奇心が正当化される快感だけだ。
シャブ、葉っぱ、コーク、バツ、阿片、ケタ、そして紙。裏社会の流通網に乗るありとあらゆる毒を、俺は己の肉体という実験台に注ぎ込み続ける。
当時、東京の青山にあったクラブ「Pylon」。俺は土曜日になると旧知のキャバ嬢を誘い、あの爆音の中へ飛び込むのが好きだった。重低音が五感を蹂躙し、レーザービームが網膜を焼く。そこでキメる「バツ(MDMA)」は、偽りの多幸感で俺を包み込む。フロアを埋め尽くす人間たちは等しく幸せに狂っているように見える。俺もその光景の一部になっている時間だけは、まるで社会から脱落していないイケてる若者のようだった。
バツやシャブが俺を救う一方で、紙(LSD)や葉っぱはどうにも俺には合わない。なぜならば、これらは俺を救いはしなかった。深層心理的には救いを求めていた俺の主食が、血管を焦がすようなアッパー系の刺激に傾いていくのは当然の流れだった。
しかしドラッグは高価な嗜好品だ。それを嗜むジャンキーが辿る末路なんて想像に難くない。進む先は驚くほど無慈悲で、そこに神や仏なんているはずはなく、俺だけが例外なんてことも絶対に起こり得ない。
結晶の姿を変えた金が毎日無言で俺の静脈を通り過ぎて消えていく。ライターの原稿料など、一本当たり二、三万。シャブの値段も二、三万。つまり飯代にしかならない。
大きい収入もあったが、ゴーストで一冊書き上げて二十万程度。たったそれだけだ。
わずかな貯蓄もあったが、1年もしないうちに底が見えた。
しかしキメて執筆に没頭する時間は最高だった。感覚が研ぎ澄まされ、指先が思考を追い越す。数日で本一冊分を書き上げる全能感。俺が青山正明に近づいていると確信するには十分すぎるほどのスピード。
でも某アイドルの著者は俺がゴーストライターだぜ?ネタを食いながら書いたクソみたいな本だけどな。
報酬は、次のネタ代――経理上は「取材費」という名の薬物代として、一瞬で売人の懐へと吸い込まれていく。
金が尽きた時。それは、自由の終わりであり、次のステージの始まりを意味する。
空になった財布と、次の刺激を求める脳のせめぎ合い。もはや「取材」という大義名分は無力だったし、その前に大義などもう必要も無かったのかも知れない。
ジャンキーになった俺の選択肢は二つしかない。死ぬか生きるかだ。最後のネタをキメた勢いで、扉の一つを蹴り上げる。生きる扉だった。俺は「書く側」から「演じる側」へと、目付きまでも変えてその身を躍らせる。
他のジャンキーも辿った道だ。そんな奴らは散々見てきた。俺も手からペンを捨て、あれだけ蔑んでいた奴らと同じように、その手で自ら悪魔を掴みに行く。
そう、ジャンキーであり続けるために。


