マンホールカードにもなっている伊達邦直の蓋。
農業が盛んで、米作りにおいては石狩支庁で一番の収穫量を誇るほどの町ですが、その礎を築いた人。
伊達政宗の四男を初代とする
岩出山伊達家の10代目である邦直。
ちなみに道南には伊達市があり、こちらは邦直の実弟である邦成が開拓しています。
戊辰戦争で敗れ、禄高を減らされますが
家臣の生活を守るため私財を投じて北海道開拓を志願します。
しかし、政府から充てがわれたのは物資輸送の難しい内陸部。
海岸部への移転を複数回に渡って申し入れるも受け入れられないため
部下に現地調査を命じ、それに基づき自身も北海道へ移り
何度も開拓使に海岸地の要望を願い出
紆余曲折を経て当別の開拓許可を得えます。
そんな当別の地ですがあくまで内陸部と比べて開拓し易いだけであって
当別までの道の開拓、生い茂る樹木を切り倒しての畑作りなど苦難の連続だったようです。
それでも諦めず開拓を続け、
若者を東京にやり農業を学ばせ、
新しい農具や開拓用の馬を得て、
開拓模範村として政府に認められるほどの豊かな土地を作り上げました。
この話もそうだし、直線道路の話など
北海道開拓の歴史はとても興味深いです。