ふと考える。
傘をさして歩くことはできるかしら?
人間は社会的な生きものだから
他者とコミュニケイトしながら生きてゆく。
コミュニケイトの手段として
最たるものは言葉である。
ジェスチャーやら会釈やらで
伝わるものも勿論あるだろう。
しかしながら、’正確に伝える’という点では
些か心許ない。
とはいえ言葉も完璧ではない。
なぜならば、ひとりひとり
言葉の定義が異なるからだ。
たとえば、「こども」
偏に「こども」といっても
新生児や未成年を指すこともあるし
70歳のおじいさんだって親からみたら「こども」だ。
’他者に伝える’という意義に鑑みると
言葉の定義を双方で共有する必要があるのだ。
或る人は云う。
木の板がある(から歩きやすい)から、ハイキングだよ♡
また、別の或る人は云う。
荒天とは傘がさせないくらいの天気である、と。
尚、我々の目指すところはトレイルランニングという
山を走るイカれたスポーツをすることだ。
わたしの周りには
わたしがこれまでに培った常識が
如何にちっぽけで
わたしの周りには
わたしがこれまでに培った常識が
如何にちっぽけで
如何に取るに足らないものであるかを
気づかせてくれる人が、とても、おおい。