房総の頼朝 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


注意●ネタバレあり
◎大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
『吾妻鏡』のつづき
治承4年(1180)9月を
ざっくりと読んでいきましょう

源頼朝〈大泉洋〉


9月1日
武衛(頼朝)が上総広常のもとに行こうと言い
北条時政らが賛成します
安房国の安西景益は頼朝の幼なじみ
最初に手紙を出しました
令旨は厳密で在庁官人と一緒に参上なさい
京から来た輩(平家方)は悉く捉え連れてきなさい


北条政子〈小池栄子〉


9月2日
御台所(政子)は伊豆山から秋戸郷に移り
頼朝の安否を知らず独り悲しんでいると
朝8時頃、土肥遠平が真鶴岬からやって来ました
最近の頼朝の動向を話しましたが
乗船の後の事はわからず やはり悲しいです


大庭景親〈國村隼〉


9月3日
大庭景親が源氏代々の家人でありながら
今回あちこちで頼朝を討とうとするのは
平家の命に従っているようで
別の考えがあるようにも思えます
味方しているのは武蔵と相模の住人ばかりで
その内 三浦と中村一族は今ここに居るのだから
景親の謀略など何でもないと沙汰を出します
手紙を小山朝政、下河辺行平、豊島清元、
葛西清重らに送りました
それぞれ頼朝に従う有志は参向すべしとのこと
中でも清重は源氏に忠節を持つ者ですが
住む館が江戸氏と河越氏の中間にあって
進路を決め難い 早く海から来るようにと
丁寧な仰せがありました
綿衣を調進すべしと豊島朝経の妻に仰せです
朝経は京都大番役で留守だからです


三浦義澄〈佐藤B作〉


今日、平方郡より上総広常の館に向かいました
暗くなったので 民家に泊まることにしたところ
安房国の住人 長狭常伴が 平家に味方して
今夜ここを襲撃しようと企てていたみたいです
三浦義澄が案内人からその用意を聞き
襲撃を遮り暫く戦いましたが長狭は負けました


安西景益〈猪野学〉


9月4日
安西景益が 頼朝から手紙を給わり
一族と在庁官人を連れて宿泊所に参上しました
景益が言うには、
安易に上総広常の館へ行くべきではない
長狭のように謀略を練る輩がたくさんいる
まず使いを出して迎えを来させるのが良い
とのことです
そこで、安西の館に行き
和田義盛を上総広常のもとへ
藤九郎盛長を千葉常胤のもとへ遣わし
それぞれに参上すべしと伝えます


洲崎神社 画像はWikipediaより借用


9月5日
洲崎明神に参拝 頼朝は熱心に祈りました
使者が無事に帰還したら良い田を神に貢ぎます
との御願書を奉りました


和田義盛〈横田英司〉


9月6日
夜になって和田義盛が帰ってきました
上総広常は千葉常胤に相談してから参上する
と言ったそうです

とりあえず今日はここまで。。。