徳川斉昭が歌を詠んだのが弥生 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


水戸藩の
江戸藩邸(小石川上屋敷)は
わが文京区にある
小石川後楽園ですが

小石川後楽園は
都立庭園で
新型コロナウィルス感染拡大防止のため
臨時休園が続いています

で、

水戸藩の
中屋敷があったのも
現在の文京区
ということを
紹介しておきたいと思います


東京大学本郷キャンパス
本郷地区は
加賀藩邸の跡地ですが
弥生地区(農学部)
浅野地区(理学部・工学部)は
水戸藩邸(駒込中屋敷)跡地なのです

*注
拝領した当初から
明暦の大火(1657)までは
小石川上屋敷→中屋敷
駒込中屋敷→下屋敷だったと思います



○4月8日 ウォーキングの続き

大正寺を退出し
忍小通りから元の道に戻り
さらに(北西の方向へ)進みます



左側が
東京大学本郷キャンパス本郷地区
つまり加賀藩邸跡地
右側が
水戸藩駒込中屋敷跡地です

水戸藩邸跡地は
現在
東大キャンパスだけでなく
一般民家のエリアもあります


竹久夢二美術館などもあります

大正寺から
500mほど歩くと
言問通りに出ます

こんな石碑があらわれます


弥生式土器発掘ゆかりの地碑

明治17年(1884)
このあたりで発掘された土器は
それまでの縄文式土器とは
明らかに異なるものでした

発見場所の町名から
「弥生式土器」と名付けられ
「弥生時代」という
歴史上の時代区分ができたわけです

この画像は Wikipediaより借用

で、

そもそも
弥生という町名ですが

水戸藩邸内にあった
徳川斉昭の歌碑から
つけられたといわれています

「名にしおふ春に向かふが岡なれば
 世にたぐひなきはなの影かな」

斉昭の歌の
どこにも「弥生」は出てきませんw

実は
この歌の詞書にあるのですww

「ことし文政十余り一とせといふ年のやよいの十日さきみだるさくらがもとにかくはかきつくこそ」

つまり
徳川斉昭が歌を詠んだのが
文政11年3月10日なのです

もしも
斉昭が2月に歌を詠んでいたら

「如月式土器」
「如月時代」と
呼ばれてたかもしれないということですwww