摂家将軍から親王将軍へ | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


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鎌倉殿(征夷大将軍)は
初代源頼朝
2代源頼家
3代源実朝と
源氏将軍が3代で途絶えた後
名門の公家である
藤原氏九条家から
4代藤原(九条)頼経
5代藤原(九条)頼嗣が擁立されます
これを摂家将軍と呼んでいます

実権を掌握した
北条得宗家は
まもなく5代頼嗣をも廃し
次には後嵯峨天皇第一皇子である
宗尊親王(むねたかしんのう)を
6代将軍に迎えることとなります
これより親王将軍
宮将軍、皇族将軍とも呼ばれます

摂家将軍から
親王将軍へと移行する
その裏事情など知りたくて
『吾妻鏡』を読んでみましたが
どうも僕には
イマイチ理解できません

とりあえず
ポイントを整理してみますが
但し『吾妻鏡』は
建長元年(1249)と建長7年(1256)が
欠落している旨 ご承知おき下さい


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北条時頼 画像はWikipediaより借用


毎年毎年最初の記事は
正月三が日に行われる
垸飯(おうばん=椀飯)です
将軍にご馳走が振舞われる
新年会のような行事でしょう
「大盤振舞」の語源だそうです

元日 2日 3日
それぞれの記事に
費用を負担する主催者
御沙汰(ごさた)
そして
将軍への進物
御劔(ぎょけん)刀
御調度(ごちょうど)弓矢
御行騰(おんむかばき)乗馬袴
担当者の名前が記されます
おそらくこの人たちが
その時点の幕府要人なのでしょう

例えば
建長2年(1250)元日は
御沙汰 北条時頼
御劔 北条政村
御調度 安達義景
御行騰 二階堂行義です

建長2〜6年の5年間にわたり
三が日の御沙汰は
北条時頼 北条重時 足利義氏が
分担しています

時頼と重時は
時の執権と連署ですから
それに並んで記される
足利義氏(左馬頭入道正義)
という人物は
幕閣の長老格と
考えてよいのかもしれません


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足利義氏 画像はWikipediaより借用


ここ数年よく僕は
異常気象という言葉を使いますが
『吾妻鏡』を読む限り
鎌倉時代はもっと凄くて
異常どころの騒ぎじゃありません
怪奇現象も頻発するし
おエライさんに夢のお告げがあるし
祈祷の欠かせない日々が続きます

また『吾妻鏡』は
すぐにでも大事件が起こりそうな
思わせぶりな書き方が得意です


建長2年
1月13日
下総国「自天麦降」とありますが
空から麦が降ったのでしょうか?
2月8日
執権時頼に夢のお告げがあり
大倉薬師堂(現覚園寺)を参拝します
3月13日
頼朝法華堂の供養の日
重時の夢に頼朝が出てきて
謀反の輩がいると教えたそうです
3月20日
伊勢神宮祈年祭では
川の水が紅色に染まります
その程度の話はしょっちゅうです
8月1日
常陸国鹿島神宮寺の本尊が
汗をかいたと報告されました
9月26日
火事も多発しますが
この日は時頼邸が失火です


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浅草寺 3年前(2013)12月


建長3年
3月6日
武蔵国浅草寺に牛の如き者出現?
どんなんでしょ?w
3月14日
信濃国諏訪社の湖(諏訪湖)に
大島と唐船など出現し
片時の間に消え失せたそうです
こうなると
世にも不思議な物語です
4月23日
長雨で洪水
4月26日
上野国赤木嶽の山火事
これは戦が起こる兆しなんだそうです
5月15日
おっと時頼正室が出産
のちの8代執権北条時宗です
7月18日
季節はずれの雪が降ります
閏9月16日
天変出現 火曜芒悉見?よくわからん
10月7日
大倉薬師堂が焼亡
10月20日
金星が蟹座に接近
占いの文によると
将軍が廃されるんだそうです

編集者の意図かわかりませんが
そろそろ政変の予告ですかね?

12月5日
諏訪入道のあたりで騒動
人々が時頼邸門前警戒に参上
噂はいろいろあるようです
12月7日
足利泰氏
(前述した義氏の嫡男)
無断で出家した罪で領地没収です
この親子については
あとで詳しく調べようと思います
12月22日
謀反の輩がいると世間の噂
幕府ならびに時頼邸厳重警戒
12月26日
雹(ひょう)が降り
地に積もること3寸(約9cm)
未刻になって世間が大騒ぎ
了行法師ら
謀反を企てたとして逮捕
翌日には処刑されます


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鶴岡八幡宮 今年(2016)正月


建長4年
1月11日
鶴岡八幡宮の御供飯が半分に割れ
300枚積んであった餅が転落
御殿と舞殿の間の樋に鳶1羽の死骸
大慈寺の川には鳶21羽死んでました
1月12日
刑部僧正長賢の霊が出ました
13歳の少女に憑依して喋るには
後鳥羽法皇(故人)の使いで下向し
時頼邸に住んでいましたが
祈祷で追い出されたそうです
法皇に報告しに帰り
来年また下ってくるとのことです
翌日 法華堂の法事で
時頼に報告されました
この件もあとで調べてみます

1月27日
由比ヶ浜から和賀江嶋まで
海の色が紅の如し
今回は吉事の前兆だそうです
なんとまあ都合のいい解釈w
2月1日
日食
2月8日
若宮大路周辺かなり広範囲の火災
2月12日
幕府安全の祈りために
時頼邸にて如意輪観音の法要

で、
突然ですが、

2月20日
二階堂行方と武藤景頼が
使節として上洛
重時と時頼が
今の将軍を廃し
後嵯峨上皇第一皇子に
お願いしてあるので
鎌倉への下向を申請
時頼が自ら筆を染め
重時が判を加えたもので
他の人はこれを知らないそうです

6代将軍となる
宗尊親王ですが
あまりにも唐突な話
これに至る根回しの記事など
まるっきり載っていません

2月21日には
うまい具合に
九条道家が死去します
4代将軍頼経の実父
5代将軍頼嗣の祖父にあたります
時頼たちにとって
厄介な存在が消えてくれたわけです

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和賀江嶋 今年(2016)4月22日


2月28日
腰越から和賀江嶋まで
海の色が血の如し
さぞかし吉事が続くことでしょう
あ、これは僕のイヤミですw


とりあえず
今日はこんなところです罠。。。