寺子屋 | 芳村直樹のブログ

芳村直樹のブログ

シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです


5月歌舞伎座
『團菊祭五月大歌舞伎』は
●楼門五三桐
●三人吉三巴白浪
●男女道成寺 を
一幕見席で観劇しましたが
後日TVで録画中継があり
●寺子屋
●勢獅子音羽花籠 を
見ることができました

僕個人としては
『團菊祭』両家の御曹司
市川海老蔵も尾上菊之助もファンだし
加えて大好きな尾上松緑も共演
この三人が舞台に並ぶ
『三人吉三』と『寺子屋』は
それだけで大満足の極みです (≧▽≦)


『寺子屋』(てらこや)は
平安時代 昌泰の変(901)
菅原道真失脚事件を題材に
延享3年(1746)
大坂竹本座で初演された
人形浄瑠璃
『菅原伝授手習鑑』の歌舞伎化
全五段のうち四段目切の一幕で
上演回数では群を抜く
歌舞伎の代表的演目だそうです

道真をモデルとする
菅丞相(かんしょうじょう)の
もと家来で 書道の弟子だった
武部源蔵は
寺子屋を開き
そこで丞相の一子 秀才を
密かに匿って暮らしています

{CDA55A13-B2D0-4CB0-A4C6-1C1566A997CD}
武部源蔵
僕の大好きな尾上松緑が演じます

道真の政敵
藤原時平をモデルとする
時平(しへい)方から
秀才の首を差し出すよう命じられ
源蔵は悩んだ末
その日 寺子屋に入門したばかりの
小太郎という子供を身代りに殺し
その首を差し出します

首実検に立ち合った
敵方の松王丸は
その首を秀才の首と認めます

{C9656665-BC48-49FC-9868-14F4AB617BAC}
松王丸 市川海老蔵

実は
小太郎とは松王丸の実の子でした

菅丞相から恩を受けた
梅王、松王、桜丸 三つ子の兄弟で
松王丸一人だけが敵の時平に仕え
それを悔いて生きてきたようです
報いるために
わが子を秀才の身代りとして
寺子屋に送りこんだ
という筋書きです

{542DD19D-0E0F-4A08-AD23-72C8D3228865}
松王丸の女房 小太郎の母 千代
尾上菊之助


武部源蔵は
主君の子供を守るために
他人の子供 それも
自らの寺子屋に入門した子供を
いとも容易く殺してしまうとは
封建社会の恐ろしさ
現代では考えられないどころか
凶悪犯罪の類いですよね

先日の『吉野川』では
親がわが子を殺すシーンで
泣けなかったと書きましたが
『寺子屋』のほうが
ちょっとだけ涙腺が緩みます

その理由を考えてみたのですが
まず子供の年齢が影響しますね

本人も覚悟の上で
死ぬことを選択するのと違い
世間の仕組みについて
まだ何もわからない幼子の命を
大人の理屈で奪うこと
その残酷さが涙を誘います

不条理な世の中に対する
悔し涙でもあります

そして
臆病者の僕としては
自分の手でわが子を殺すのは
どうにも辛すぎるから
他人に殺してもらったほうが
存分に泣けるようにも思います


舞台では
松王丸は豪華な出で立ちですが
もともと百姓の生まれ
おそらく当時 三つ子は珍しく
縁起がよいと召されたのでしょう
その職務は
左大臣藤原時平の
牛飼い舎人だったそうで
いわば牛車のお抱え運転手です

身分からして
子供を犠牲にすることは
避けられないことかもしれませんが
主君に対する忠義云々は
この狂言が作られた
江戸時代の倫理観であって
遠い昔の平安時代には
そこまでの考え方は
なかったようにも思います

ま、
生まれながらにして
弱者が不幸を背負う仕組みは
古今東西 当たり前に存在します

現代社会は
弱者を守ろうという風潮が
せっかく存在するのですから
それを人間の智慧、美徳として
大事にしていきたいものです


折しも
リオのパラリンピックを
NHK地上波総合で中継しています
次回東京の予行演習でしょうか
今までの大会にはなかったことで
これは良いことだと思います

ハンディキャップを背負いながら
僕のようなヘタレ人間の
何十倍も何百倍にも輝いている
アスリートの皆さんに感動します

ちょっと前まで
五体不満足の某タレントを
スターのごとく扱ったマスコミや
参院選の目玉候補にしようとした
政権党の政治家たちは
おおいに反省し
これを機に視点を変えて
優しい世の中の仕組みづくりに
取り組んでほしいものです