承久の乱を勉強してみて | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです



遠い昔
学校の授業の記憶など
この年になると
すっかり薄らいでしまっていて
あらためて勉強してみることが
なんだか新鮮な毎日です

学校で習わなかったこともあるし


承久3年(1221)5月15日
後鳥羽上皇が出した
北条義時追討の院宣にはじまる
承久の乱は
尼将軍政子の名演説もあって
御家人たちの結束を促し
幕府軍は総勢19万騎の大軍に
膨れ上がったみたいです

対する京方はせいぜい2万騎
多勢に無勢
ましてや関東方はプロ集団
勝負の行方は明らか
なのかなあ~
6月15日には
都は幕府軍に制圧されています

京方の三浦胤義らは
後鳥羽上皇を
最後まで守るつもりだったらしく
上皇の籠もる四辻殿に
参向したのですが
上皇はそれを拒否するんですよ

なななんと 後鳥羽上皇は
今回の戦乱は謀臣の企てと
義時追討を取り消し
胤義ら追討の宣旨を出すんです

みっともないったらありゃしない
てか 胤義らの心中を察すると
怒りがこみ上げてきますよね

こういう話は
授業で教わりませんでした
それがまた腹立たしいw

どこかの国の総理大臣も
戦争気分を煽るだけ煽っておいて
いざ情勢が怪しくなり
自分が矢面に立たされでもしたら
「私はそんなこと言ってませんよ」
とか言い出しそうな気がします



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隠岐 ローソク島
画像はWikipediaより借用


戦後
後鳥羽上皇は隠岐島
順徳上皇は佐渡島
土御門上皇は討幕反対派でしたが
自ら望んで土佐国へ
それぞれ配流されます
もちろん
京方に加担した公卿、武士
多数が処刑粛清されます

仲恭天皇は廃され
(実際の贈諡は明治期らしい)
86代 後堀河天皇が即位します

承久の乱の結果 特筆すべきは 
後堀河擁立のように
これ以降の皇位継承にも
幕府が口を出すようになることです

松ケン大河『平清盛』では
武士は「王家の犬」でしたが
いよいよ犬が飼い主を選ぶ時代w

それと
幕府の領地が増えたこと
これは大きいですよね~
後鳥羽の持つ膨大な荘園はじめ
京方の公卿、武士の領地を
幕府が没収するわけですが
その多くが
今まで幕府の力が及ばなかった
西日本に所在する土地であり
多くの御家人たちが
新たな地頭として
西日本に移住することになります

すっかり忘れていましたが
これは習った記憶があります
新補地頭というヤツですな


鎌倉幕府は源頼朝が開いたと
学校では教わりました
それはそれで正しいわけですが
こうしてあらためて
勉強しなおしてみると
幕府の全国支配を成立させたのは
北条義時の功績であり
その政治力に驚くばかりです

北条義時は
中高の日本史の授業でも
もっと重要視して
取り上げるべき人物なのに
やっぱ
朝廷に弓を引いて
勝ってしまった点が
教育上よろしくないんですかねw




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東福寺 六波羅門
一昨年の夏の旅行で撮影


朝廷の動きを監視するため
幕府の出先機関として
それまでの京都守護職を改組
六波羅の旧平清盛邸に
新たな役所が置かれます

のちの六波羅探題
(ろくはらたんだい)です

北方に義時長男 北条泰時
南方に義時の弟 北条時房
が任命されています

上の写真
東福寺にある六波羅門は
六波羅探題の門を
移築したものだそうです

今年の夏の旅行では
六波羅探題跡である
六波羅蜜寺も訪ねてみよう!!
またまた予定が増えちゃいましたw