源頼家 結婚と一幡誕生 | 芳村直樹のブログ

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源頼家について勉強しています


父頼朝存命中の出来事で
まだ少し 書くべきことがありました
それは 頼家の結婚と長男の誕生です

ググって調べたことに
僕なりの想像を加えて
書き綴ってみたいと思います


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若狭局ゆかりの 妙本寺 蛇苦止堂



比企能員(ひきよしかず)の娘を
嫁に欲しいと
頼家から告げられた時

母政子はさぞかし困惑したでしょう

比企は北条にとってライバル的存在
源氏と比企が結ばれることなど
ぜったあーーーいに
時政が反対するに違いないですから

政子自身だって
夫頼朝と丹後の内侍との疑惑などで
比企一族のこと
たぶん良くは思っていませんよ
よりによって頼家
おまえさまも比企を選ぶ???
親が親なら子も子だよ  とほほ
嘆いたような気がします

参照ブログ●源頼朝下半身問題の続き



父頼朝のほうは大歓迎です

後継者頼家の将来には
文武両道に秀でて しかも
御家人諸氏から信頼されるような
補佐役が必要と考えていたから
それに適役の比企能員を
傳(めのと)に選んだわけですしね

北条には挙兵以来の恩はあるけど
舅時政は野心家だと感じていたし
(ちょっと鬱陶しかったりして)

北条と比企が
車の両輪のように
バランスをとって
今後の将軍家を支えてくれたら
いいなぁ~とかなんとか
そんな絵を描いたと思うんですよ

頼朝にとって重要なのは
嫁選びより舅選びですが
もしかしたら
ついでに
おぬしも比企の美人を選ぶか
さすがワシの子じゃ!!とか
思ったかもしれませんけどねw


鎌倉殿が認めれば
政子も同意するしかありません

冷静に考えれば
自分も父の反対を押し切り結婚し
こうして今があるんだし
ここは若い二人の幸せを
見守ることにしまひょ~と
決めたことと思います




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妙本寺 祖師堂


建久9年(1198)
頼家17歳(満15歳)
比企能員の娘
若狭局(わかさのつぼね)との間に
一幡(いちまん)が生まれます
頼家の第一子で長男です

頼朝はもちろん政子も
初孫の誕生を喜んだでしょうね

政子と頼家が
母親と息子として
笑顔を交わすことができたのは
もしかすると
この時期だけなのかもしれません

残念ながら
このめでたい絵図は
一年とは続かなかったわけです


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源頼朝墓


建久10年(1199)1月13日
源頼朝急逝

嫡子頼家は18歳で家督を相続します

その報せは
ただちに朝廷へ届けられ
頼家は左中将に任じられ
2代目鎌倉殿として
頼朝の地位を
継承することが認められます
(将軍宣下は3年後です)


父親となり
鎌倉殿となり
武家の頂点に立ってしまった
頼家
もはや 母政子の言うことなど
耳を貸さなくなってしまいます


一般に
男子というのはマザコンで
結婚後の嫁姑の争いで
母親の味方をする例もありますが

頼家の場合は
乳母に育てられましたから
母政子の愛情など
感じたことがなかったんですよ

産みの親より育ての親

頼家にとって
一番大切にしたいものは
嫁の実家であり
自分の育ての親でもある
比企一族なわけです

北条政子
あんたに育てられた覚えはない
要りません!!!てな感じです


恐ろしや乳母制度  (w_-;


あわれ政子と頼家は
元には戻れない道を歩き始めます


次のブログにつづきます。。。