源頼朝の下半身問題の続き | 芳村直樹のブログ

芳村直樹のブログ

シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです



{C36B6444-DCC8-4022-9973-1A18E3759158:01}
伝源頼朝像(神護寺蔵)
Wikipediaより借用

Wikipedia 源頼朝
妻子の項には
次の名前が並んでいます

前妻★八重姫
正室★北条政子
側室★亀の前☆大進局☆利根局
子★千鶴丸★大姫★頼家
☆貞暁☆乙姫☆実朝

★印は昨日のブログに書きました
残りの☆印について調べましょう

おっと!
★新田義重の娘(長兄源義平未亡人)
載ってませんねぇ~
未遂に終わったんでしょうかねぇ~
若き流人時代の不自由の身なら
諦めたとも考えられますが
晴れて源氏の棟梁 鎌倉殿となり
自らの権威を示さんが時
強引に攻め込んだ気がしますけど
www   ( ´艸`)


{9A7EB9A1-4063-44E8-9D57-B142F395F6E1:01}
大蔵幕府舊蹟の史跡碑


☆大進局(だいしんのつぼね)

この女性は
大蔵御所(鎌倉幕府最初の御所)
つまり鎌倉殿源頼朝の住居に
勤めていた女房です(生没年不詳)

大進局の父親 常陸入道念西は
頼朝のいとこにあたり
岩城国(福島県)伊達郡を拝領
のちの伊達氏の祖先とされます

これまた
頼朝お得意の行動パターン
てか 世の男性も共通項あり?
政子の妊娠中の浮気です

文治2年(1186)
政子は次女の乙姫(三幡)を
大進局は男子を出産します
上の一覧表にも記されている
のちの貞暁(じょうぎょう)です

もちのろん
政子の怒りは大変なもので
それを恐がってか
乳母の成り手もなく
かわいそうな男子は
人目を憚りながら育てられました

6年後
またしても政子が妊娠中ですが
(今度は実朝)
懲りない頼朝は
出家する息子を見送るため
大進局に会いに出かけています
よほど愛おしかったんでしょうね

時が経ち
頼朝もこの世を去ったのち
高野山で修行を積む
貞暁(1186~1231)のもとへ
北条政子が訪れた記録があります

貞暁の野心を疑い
還俗して将軍になるつもりはないか
尋ねたのだそうです

貞暁は
仏道に精進し世俗の欲は捨てたと
その証として
亡き頼朝から授かった短刀で
自らの片目をえぐり取り
政子に差し出したと伝わります

実朝暗殺の前の年(1218)の話です

恐ろしや!!政子ぉおーー!!


{54A67DB6-C10F-4884-895D-FA2076D4EB00:01}
大河『平清盛』の北条政子


☆利根局(とねのつぼね)

この女性は
上野国利根荘出身の御家人
波多野経家の三女です
頼朝との関係が
はたしていつ頃のことなのか
調べた限りではわかりませんでした

利根局の産んだ男子は
波多野氏領 相模国大友郷を継承し
大友能直を名乗ります
(1172~1223)
のちに豊後国を拠点に
九州に勢力を広げる
大友氏の家祖とされる人物です

大友能直は
「無双の寵仁」と言われるほど
頼朝に可愛がられたため
頼朝ご落胤(隠し子)説があり
大友氏の系図でも
能直は頼朝の庶子とされています

もしもそれが本当なら
能直の誕生年からして
八重姫との時期と重なってしまい
ただでさえ悲運の八重姫が
よけいに哀れに感じちゃいます
(T_T)

が、
最近の研究では
ほとんど否定されているようで
ほっとしました
(僕が安心しても意味ないけどw)



ご落胤説というのは
血筋に箔をつけるために
まことしやかに嘘をつく場合が
多々あるように思います

そうそう

頼朝のご落胤といえば・・・


{3522F2F0-64D8-41CA-ABBD-9144D2A05F8D:01}
島津忠久墓

薩摩の大大名
島津氏の家祖である
島津忠久墓を参拝した時
いろいろ調べてみたら
島津氏本家が
家祖忠久が頼朝ご落胤であると
主張しているとのことでした

島津忠久の母親は
丹後内侍(たんごのないし)
この女性
いまだに僕にとって謎多き人物です

結構お馴染み
源頼朝の乳母に
比企尼(ひきのあま)
という女性がいますよね
流人時代の頼朝に
ずっと経済的援助を施した人物です

比企尼には三人娘がいて
その長女が
丹後内侍(生没年不詳)です

Wikipediaによると
丹後内侍は
京で二条院(1143~65)に仕え
惟宗広言と密かに通じ
島津忠久(?~1226)を生み
離縁したのち東国に下り
頼朝の側近
安達盛長(藤九郎)に嫁ぎました

島津家の家祖ともあろうお方が
誕生年不詳とされているあたりが
ご落胤説のミソです

ま、
たとえ
忠久の話が眉唾としても
比企一族の女性陣は
美人揃いだったそうだし
頼朝が丹後内侍に
手を出したんでは?と
誰もが疑いますよねえ (⌒-⌒; )

おそらく
比企尼は娘たちに
すけどの(佐殿)のためなら
どんなことでもするように!!!
とかなんとか
命じただろうし
頼朝の身のまわりの世話をした
側近の藤九郎だって
主君に妻を差し出すことぐらい
平気だったような気がします
てか
比企尼が その条件を含めて
藤九郎に嫁がせたかも?とか
僕が想像を膨らませたのは
内緒の話にしておいてください汗


{EF9B1977-803A-4754-B329-B021DA9B189C:01}
大河『平清盛』の藤九郎


丹後内侍が病に伏した時
甘縄神明宮のそばの安達邸まで
頼朝は見舞いに訪れています
その折
家来どもは下がらせて
頼朝と丹後内侍
二人っきりになったみたい

で、で、で、

安達盛長の長男
安達景盛も
頼朝ご落胤説があるんですよん

佐殿!!勘弁してくれ!!って感じ

そういえば
比企尼の孫或いは姪にあたる
姫の前のことも
頼朝お気に入りだったのに
北条義時に譲った とかとか

あ~あ キリがない罠

天下人は血を絶やさんがため
側室をはべらすのは当然
とか 書いてる人いますけど
頼朝の場合
流人生活の頃からですよん

先日の七福神めぐり
御霊神社のお祭りでは
頼朝が非人の娘を孕ませたのも
鎌倉の皆さんにバレバレだし

結果的に
三代で血は途絶えちゃうんだから
ぜ~んぜん だめじゃんwww

このくらいで終わりに島倉
書くのも疲れちゃいました orz.

ワイドショーネタの
つまらん文章
最後までお読みいただき
ありがとうございました m(_ _)m