藤九郎=安達盛長!! | 芳村直樹のブログ

芳村直樹のブログ

シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです



中学や高校の授業では
日本史が一番好きだったのに
こうして何年も経ってしまうと
受験勉強で暗記したことなど
すっかり忘れちゃってますね~

さらに 鎌倉散歩をする中で
教科書には全く載っていなかった
知らない話に次々と出くわし
あたまぱっかーん状態ですw

それに加えて 僕ときたら
NHK大河ファンと言いながら
ドラマで描かれたことが
なかなか史実と結びつかず
何のプラスにもなっていない
ホントに困ったオヤジです orz.

ま、

TVを見るのに
年表片手というわけじゃなし
ドラマはドラマとして
十二分に楽しんでいるのだから
気にしないことにしましょう

でもでもでも
あとから調べて
びっくりすることが多いんですよ

(; ̄0 ̄)/


■オヤジ一人で勉強会 33


大河『平清盛』の
キャスティングを見返していたら
藤九郎=安達盛長
というクレジットを発見

じぇじぇじぇ!!! ( ̄0 ̄ノ)ノ

{2C25878C-BC91-4362-9918-E778F6FD46C9:01}

なぬ (o_o)
あの藤九郎が
安達盛長だった!!!とは
今の今まで気づきませんでした

大河ドラマの中の藤九郎は
源頼朝の伊豆流刑が決まり
お供することになりますが
たしか 池禅尼の指示と描かれ
もしかしたら 架空の人物かと
勝手に思い込んで見ていました


藤九郎=安達盛長
となると
安達盛長というのは
頼朝の側近中の側近
ということになりますよね

源頼朝は 14歳から34歳まで
実に 20年もの間 のんびりと
伊豆で流人生活をおくったわけで
その間 ずっと 藤九郎が
身の回りの世話をしたとしたら
これは たいへんな話です



{FD5D1E81-3EDA-4C26-8C18-D23E2A525EF1:01}

安達盛長は
北条政子と頼朝の
キューピット役もしたみたい

政子の父 北条時政は
目代(もくだい)の山木兼隆に
政子を嫁がせるつもりでいました

当時の伊豆知行国主が
平時忠 (大河では森田剛)
「平家にあらずんば人にあらず」
というセリフで有名な御仁

山木兼隆は その時忠と懇意で
目代 (国主代理人のような職)
に就いたとされています

『曽我物語』によると
時政が大番役の任務で
京都に出向いている間に
頼朝と政子ができちゃったとの話

時政は 京都において
おそらく 平家一門の恐怖政治を
目の当たりにしてたでしょうから
さぞかしビビったことと思います



そして

治承4年(1180)8月
以仁王令旨を受けて
源頼朝ようやく挙兵

すでに34歳ですよ
実にスローモーにも感じますが
これが 驕る平家は久しからずの
グッドタイミングだったわけで
歴史というのは不思議なものです

まず手はじめに頼朝は
目代 山木兼隆の館を襲撃します
嫁も取られる 首も取られるで
山木兼隆くん イイトコ無しです


{A872806B-60C0-494A-9786-7A3CFE1555FB:01}
画像はWikipediaから借用
月岡芳年『月百姿』
山木兼隆に斬りかかる加藤景廉

兼隆を討ち取ったのは
加藤景廉(かげかど)という家人

この武将は 遡って
嘉応2年(1170) 伊豆大島にて
源為朝(鎮西八郎)の首をはねた
ともされる人物ですから
要チェックかもしれません



次のブログでは
安達盛長のその後を勉強します。。。