高尾太夫を訪ねて
第6話 日本堤と山谷堀
江戸時代にあった
日本堤 (にほんづつみ) という土手道は
山谷堀の水路に沿って築かれたらしい
猪牙舟と呼ばれる小舟に乗った遊客が
浅草川から山谷堀を上り吉原へ向った
堀の両岸には船宿や茶屋が軒を並べて
結構な賑わいを見せたそうだが
今はもう面影すら残っていない
土手はすでになく
堀は暗渠となって
山谷堀公園という遊歩道になっている
山谷堀公園は
待乳山聖天の裏手
今戸神社に歩く途中の
今戸橋からはじまり
土手通りの地方橋まで
北北西方向へ
約 800m の桜並木が続いている
先月31日 隅田公園に行った後
寄り道をして撮ったものだが、
僕としては
うじゃうじゃ人がひしめき合う
隅田川沿いよりも
こちらのほうが何十倍も
花見が楽しめたことを記しておく
いくつかの橋の親柱が残される
親柱がいつの時代のものかは
確認できなかったが、
吉野橋というのは
かつての奥州街道の橋で
ここから北へ進むと 泪橋から
刑場のあった小塚原につながる
吉野橋のそばにあるのが
●遍照院
・台東区浅草6-37-12
浅草寺の子院で
観音像の発見者である
檜前浜成.竹成兄弟一族の菩提寺
先日、古坂るみ子さん出演する
文学座の芝居を見たばかりだが
この寺の境内にあった長屋が
葛飾北斎(1760~1849)終焉の地である
そして
前回紹介した
高尾太夫の墓がある西方寺は
関東大震災以前
この寺の隣にあったということだ
そしてそして
今度は
都内でもう一カ所
高尾太夫の墓があるという
寺を訪ねて歩いているのである
もったいつけて
次回のお楽しみということにしよう