麹町散歩のつづきです (^O^)/
前の宿題というか疑問というか
麹町学園通りを
とりあえず歩いてはみましたが
学園らしきものは
やはり
麹町学園しかありませんでした
![芳村直樹のブログ-130422_131219.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130424/12/manhattan1980/34/26/j/t02200293_0480064012511999192.jpg?caw=800)
てことは
麹町の学園通りではなく
麹町学園の通りってこと???
●麹町学園女子中学校高等学校
・千代田区麹町3-8
![芳村直樹のブログ-130414_120216.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130424/22/manhattan1980/7d/7b/j/t02200293_0480064012512668732.jpg?caw=800)
明治38年(1905)麹町女学校として創立
日本文化に親しみながら
女性らしい礼儀作法を身につけるために
華道(草月流)茶道(裏千家)が
授業としてあるそうです
昨年より完全中高一貫教育制となり
高校からの生徒募集を停止しました
卒業生の顔ぶれをみると
白石加代子、中山千夏、小林幸子
島田陽子、中田喜子、森下愛子
なんとなく派手ですよねw
さて3丁目
メインストリート麹町大通りの北側は
どでかいオフィスビルが建ち並びます
![芳村直樹のブログ-130422_130816.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130424/11/manhattan1980/11/fd/j/t02200165_0640048012511944343.jpg?caw=800)
江戸時代ここに
呉服店「岩城升屋」がありました
(岩城桝屋と書かれた文章も)
裏にある麹町学園も含むぐらいの
けっこう広い敷地だったようです
秋田の領主・岩城氏が
近江に移り住み商人となり(1667)
屋号を「升屋」とし
京、大阪、そして
延享3年(1746)
江戸麹町にも出店しました
お得意すじの大名や旗本屋敷が
近隣にあるという有利な立地で
升屋は商売を展開し
岩城家は全国屈指の大富豪となりました
しかし
やがて呉服が
一般庶民に行き渡るようになると
下町の大街道に店を構える
ライバルの日本橋越後屋(三越)が
絶対有利となるわけです
幕末に越後屋が
西軍(官軍)に接近したのに対し
幕府側の資金を担った升屋は
衰退の一途をたどりました
時代の移り変わりは恐ろしいもの
明治17年(1884)天下の岩城升屋も
閉店の時を迎えることになります
今さっき調べた話を
まるで見てきたように書いちゃいましたw
![芳村直樹のブログ-130422_130244.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130424/12/manhattan1980/68/12/j/t02200293_0480064012512009165.jpg?caw=800)
麹町大通りの南側には
クッキーの泉屋があります
●泉屋東京店
・千代田区麹町3-1-1
浮輪のシンボルマークが
子供の時分を思い出して
とても懐かしい気分です
泉屋は
元は大阪船場の
鉄を扱う貿易商だったそうです
3代目泉伊助の妻・園子が
趣味で始めたクッキー作りが評判となり
昭和2年(1926)菓子屋を開きました
麹町に東京店ができたのは
昭和27年(1952)のことのようです
大通りから南に一本裏の道は
麹町南通りという名前で
中小のオフィスがあり
静かな佇まいです
お店やさんはポツンポツンとある感じ
![芳村直樹のブログ-130422_130439.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130424/12/manhattan1980/30/38/j/t02200293_0480064012512009167.jpg?caw=800)
まさに「泉屋の裏だな」と
オヤジギャグ的に
歩きながら一人笑ってしまいました
麹町の南端の道
FM東京
銭湯バンドゥーシュ前から
つながっている道も
わりと静かなオフィス街で
コンビニがあるくらいです
地下鉄駅が近づくにつれて
飲食店が現れます
夜の店がランチをしている
ケースが多いようです
![芳村直樹のブログ-130415_110028.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130424/12/manhattan1980/5e/0c/j/t02200293_0480064012512009169.jpg?caw=800)
麹町をここまで歩いてきて
おおよそ気づいたことは…
1丁目と2丁目の間に
地下鉄半蔵門線の半蔵門駅があり
3丁目と4丁目の間に
地下鉄有楽町線の麹町駅があり
いわゆる繁華街は
駅近くに集中しているということです
![芳村直樹のブログ-130414_120551.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130424/13/manhattan1980/53/a1/j/t02200293_0480064012512031991.jpg?caw=800)
◎千代田区町名由来板
●麹町3丁目
>説明文コピー
麹町という町名は、江戸城の西側に位置する山の手台地で広く使われています。
「こうじ」という町名の由来については、この界隈に入り組んだ「小路」が多かったためとも、米や麦、大豆などの穀物や糠などを発酵させた「麹」を扱う店が多かったためともいわれています。
ほかにも国府と呼ばれた地方行政機関へ向かうための道「国府路」があったことからという説もあります。
いずれにしても「こうじ」という地名が、江戸時代から存在していたことは間違いありません。
江戸城からほど近いこの台地には、武士たちが住んでいたようです。
ただ、新宿通り(甲州街道・国道20号)沿いだけは、町屋として商人や職人が集まり住んでいました。
現在の麹町3丁目にあたるこの地域も、文政7年(1824)の『江戸買物独案内』によれば、鰹節や鰻の蒲焼、蕎麦、薬、菓子、そして墨、硯、筆などを売る店があったことが記されています。
現在では、ビルが立ち並ぶビジネス街に生まれ変わった麹町3丁目ですが、江戸時代から明治、大正期には、人々の生活に密着した商店街が形づくられていたのです。
![芳村直樹のブログ-130414_120608.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130424/13/manhattan1980/3b/2d/j/t02200293_0480064012512031999.jpg?caw=800)
麹町大通り
泉屋の隣のビルには
地図やガイドブックで
僕もお世話になっている
昭文社があります
![芳村直樹のブログ-130422_130213.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20130424/13/manhattan1980/2d/88/j/t02200293_0480064012512032001.jpg?caw=800)
地下鉄駅に
古地図を載せた
昭文社の広告パネルがありました
またあらためて紹介したいと思います