九段坂の天文台 | 芳村直樹のブログ

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シャンソン歌手・芳村直樹の自己満足的な東京散歩ブログです




散歩ブログを書くにあたって
知らないこと
わからないことは
ネット検索をして調べます

Wikipedia の利用は勿論のこと
他人さまのブログも参考にします



九段について検索していたら
「九段下駅近くに天文台があったらしい
 事実がわかる資料はないか」
という問答を見つけてしまいました

天文台跡があるなら見に行かなくちゃ!!
とは思ったものの
天文学なんて僕はさっぱりわかりません

ま、天文学に限らず
得意ジャンルなどないんですけどね~w

で、天文台についての一夜漬けです





日本で初めて
地球儀を作ったのは
渋川春海(1639~1715)です

貞享元年(1684)
『貞享暦』を作成した人物です

それまで朝廷の陰陽寮が所轄し
土御門家が代々継承してきた
編暦作業の実務が
徳川幕府に移ることとなり
寺社奉行の下に(のちに若年寄支配)
天文方が置かれ
春海が初代天文方に任ぜられます

天文方は渋川家の世襲となりますが
時には有能な人材を追加
あるいは養子縁組がなされたようです

◆◆

日本最古の天文台は
『日本書紀』天武天皇3年(674)の条に
記されている「占星台」だそうです

渋川春海の頃には
「司天台」「測量台」と呼ばれていて
「天文台」という呼称が使われたのは
天明2年(1782)「浅草天文台」からです

浅草天文台が描かれた
葛飾北斎『鳥越の不二』

芳村直樹のブログ-鳥越の不二.jpg

◆◆◆

天保13年(1842)
九段坂に新たな天文台を設置したのは
渋川景佑(1787~1856)です

景佑は
日本最後の太陰暦となる
天保暦を作成しています(1844改暦)
また安政元年(1854)には
イギリスの航海暦を元にして
日本最初の太陽暦暦書
『万国普通暦』を編纂しています

◆◆◆◆

文化8年(1811)天文方の外局として
蘭書を中心とした翻訳機関
蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)が
設置されています

後には
先日のブログで紹介した
安政3年(1856)蕃書調所が置かれ
これが開成学校となり
現在の東大の起源の一つとなります

浅草天文台
九段坂の天文台ともに
幕府終焉まで存続していましたが
明治2年(1869)
業務停止した天文台の機械などは
開成学校に引き継がれたとのことです




昨日今日勉強した素人なので
よけいなことは申しませんがw

町名由来板(九段2丁目)の
古地図を見ていたら
田安門の前に
「拝借 渋川助左衛門」を
発見したので
ご報告しておきます

芳村直樹のブログ-Image001.jpg

 渋川春海は
 元は安井から保井という姓で
 武士身分が認められ
 渋川と改姓していますが
 その時の通称が
 助左衛門だったようです

現在その場所には
東京理科大・九段キャンパスがあります

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