母が亡くなって1週間が経った。
一緒に正月を迎え、『飲ませろ攻撃』に晒されながらも、寄り添う日々が続くはずだった1週間。
正月3が日が終わってから母が亡くなったことを友人、親戚などに連絡したが、様々な人たちから労いと励ましの声をもらった。一つ一つの声が嬉しく、スーッと気持ちが落ち着いた。
しかし、家にいると「寂しさ」と「後悔」から逃れることができないばかりか、「孤独」であることを強く感じるようになった。
オレは一人っ子。独身なので嫁も子供もいない。両親が去った今ではこの世にひとりぼっちだ。どんなにたくさんの人に囲まれていても孤独なことに変わりはない。
これまで目的意識もなく生きてきた。日々楽しく過ごせればそれでいいと思ってきた。親のことだって何も考えておらず、疎ましいとさえ感じていた。しかし10年前に父が他界し、その後母が3回も骨折して身体機能が低下、そして病気がちになった。「母を失いたくない」と言う思いから、オレは遠方での一人暮らしを止めて母と一緒に暮らすことを選択した。
本格的に母の介護が始まったのは、ちょうど2年前からだ。心不全を患い入院。医者からは「この先何があってもおかしくない」と脅された。年齢も年齢だし、病気に強い身体では決してないので、そう言われるのも当然と言えば当然なんだが、その時に決意した。「母が最後の日を迎えるまで、そばにいて一緒に生きていこう」と。
「寄り添い、共に生き、看取る」
これが、オレの人生の目的となった。
母の介護のことを人に話したりSNSに書くと、「自分の人生を大切に」「自分の人生なのだから、、、」なんて言葉がよく返ってくる。
オレは正直この言葉が嫌いだ。オレは親の世話をひっくるめて自分の人生だと思っているのに、人が言う自分の人生には、はなっから親が除外されているから。
何?子供は成人したら親のことは考えなくていいの?
親が年老いて弱ってきたら切り捨てればいいの?
手に負えなくなったら面倒も見ずに施設に丸投げすりゃいいの?
本人の意思は無視して、そうやって自分のことだけ考えて生きたらいいの?
人が言う言葉に悪意は全くない。だけどどうしても、違和感そして嫌悪感を抱いてしまうよ。
ともかく、人生初めてと言っていい大きな目的を持って生きることになったが、残念なことにそれは僅か2年で達成されてしまった。
目的を失い、ひとりぼっちになった今、この先どう生きていけばいいのだろうと悩む。生きる目的なんて簡単には見つからない。また以前のように日々楽しければそれでいいってスタンスで生きていくのか?否、もうそんな生き方は飽きたよ。
まぁオレのこれからのことなんてココではどうででもいい。
目的を持って生きた2年間は苦労の連続だったけど、母と一緒にいることができて本当によかったと思う。
目的を達成する過程において障害は付きものだ。それを乗り越え達成していく。壁にぶち当たったからと言って親を切り捨てるようなことは絶対にしない。共に生きていく。
最後の半月は、毎日朝から晩まで、ずっと手を握っていたような気がする。
オレがベットに近づくと、母はオレの手を探して握ろうとする。一度握ったら離さない。オレが離そうとしても、ガリガリのくせになんでこんなに凄い握力があるんだと驚くぐらいに離せなかった。
さらに、手を握ってオレが横になると、「もっとこっちに来い。お前の顔が見えない。」と言った。
オレが台所に行くと、「寝室のドアを少し開けて台所が見えるようにしておけ。」と言った。
オレが家に不在の時や入院していた時に接したヘルパーや看護師からは、「いつも息子さんのことを気にしてた」と聞いた。
母は他人に対しては当たり前のように「ご苦労様」「ありがとう」と言うが、オレに対してはまったくと言っていいほど労いや感謝の言葉を言わなかった。元よりそんな言葉は期待していない。思いは十分伝わっていたし、愛されてるんだなと感じていたからね。
目的のために仕事を辞めた。後悔なんて微塵もない。辞めたことでこんなに一緒にいれたのだから。
介護離職の果てに、母の愛情を感じることができた。母が亡くなり寂しい思いに駆られているけれど、共に過ごした日々を振り返ると、何だか幸せな気持ちに包まれるような気がするよ。
「ありがとう」
以上、今日の投稿で本ブログは終了させて頂きます。
これまで読んで頂き、ありがとうございました。