久しぶりの山口県の戦争遺跡カテゴリーの投稿ですが、今回は周防大島町の陸奥記念館を紹介します。

 

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大日本帝国海軍の戦艦陸奥(むつ)は、長門型戦艦の2番艦として大正10年(1921)10月に竣工しました。完成当時は世界最大・最強の戦艦と称され、大艦巨砲主義のシンボルとして41㎝連装砲4基を装備し、連合艦隊の旗艦も務めました。

 

大正10年10月の新造公試時 (「日本海軍艦艇写真集 [第1]」より引用)

 

大改装後の公試運転 (大和ミュージアム説明看板より引用)

 

昭和11年(1936)に大改装を終えたのち大東亜戦争に突入。昭和17年(1942)の6月にはミッドウエー作戦に参加、8月以降は南方のソロモン諸島に進出しましたが、直接戦火を交えることなく昭和18年(1943)2月に内地に帰還し、広島湾内の柱島泊地にて待機することになりました。

 

同年6月8日の正午ごろ、停泊中だった陸奥の三番砲塔直下の火薬庫が爆発し、船体が真っ二つとなり沈没しました。乗員1,474名のうち艦長以下1,121名が命を落とす大惨事となりましたが、爆沈後は事件の漏洩を防ぐべく生存者350名の多くが南方に送られ、戦後に生還できたのは60名ほどだったそうです。

なお爆沈の原因については、乗組員の放火が疑われましたが、確証なく原因不明とされています。

 

戦後の昭和24年(1949)から西日本海事による引揚げが行われましたが、同社の必要以上の物資引揚・売却疑惑によって、昭和28年を最後に作業は中止となりました。

これ以降引揚げの実施は遠のきましたが、遺族や生存者は諦めることなく働きかけを続けました。昭和42年に陸奥引揚促進期成会を組織して国や沈没海域の漁協との交渉を行った結果、昭和45年(1970)に国が深田サルベージ株式会社に2,450万円で艦体を払い下げ、引き揚げによる漁場の荒廃や漁民への補償金を1億円と決定し、引き揚げ作業が開始されることになりました。

その後8年間に及ぶ作業の末、遺骨、遺品、主砲など艦体の75%が引き揚げられました。

 

昭和45年7月23日、引き揚げられる4番砲塔 (「海市のかなた」より引用)

 

引き揚げられた船体や主砲の装甲などは鉄くずとして再利用されましたが、多くの遺品や遺構は収蔵されることになりました。そこで、爆沈地からほど近い旧東和町(現・周防大島町)が事業主体となり、伊保田地区の松ヶ鼻一帯の1万5千平方メートルに「陸奥記念公園」を設け、その中心に「陸奥記念館」を建設しました。

記念館は昭和47年(1972)11月に開館となり、引き揚げた遺品や遺構をはじめ、全国から寄せられた遺品・資料の展示に務め、現在に至っています。

 

開館当時の記念館(「我等の友よ今いずこ」より引用)

 

平成6年に新築移転された現在の姿。

 

陸奥記念館と沈没地点の位置関係

 

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それでは現地を訪れますが、掲載する写真の多くは2~4年前の物となります。現在との相違があるかもしれませんのでご承知おきを。

 

屋代島は島全体で周防大島町を形成していますが、陸奥記念館は島東部の伊保田地区に置かれています。本土と島に架かる大島大橋を渡ってひたすら東進しますが、橋から記念館まで35㎞/40分もかかります。同じ県内ではありますが、とにかくめちゃくちゃ遠い僻地と言った感じです。

 

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何はともあれ到着。

駐車場に車を止めると、4つの展示品が並んでいるのが目に入ります。

 

説明看板に目を通して...。

 

まずは1つ目の展示品の推進機(スクリュー)を見てみます。

 

説明書き。ちなみに呉市の大和ミュージアムにも1基展示されています。

 

次は艦首です。

 

説明書き。

 

菊の紋章は昭和28年に引き揚げられましたが、現在は江田島の海上自衛隊第一術科学校の教育参考館に展示されています。

教育参考館は一般見学コースで観覧できますが撮影は禁止されています。

 

副砲の14センチ砲が2門展示されています。まずは1門目。

 

 

説明書き。

 

2門目は木の陰になって少々見難いです。

 

後方より。

 

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昭和38年に建立された陸奥之碑です。これ以前には木製の慰霊碑が設けられていましたが、この年に御影石の碑に建て替えられました。

 

感銘碑が立っていますが、その後ろの「方向 約4.5㎞」は爆沈地点を示しています。

 

爆沈地点を望む。

 

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若鷲の碑です。

 

説明書きにある通り、予科練甲飛11期生のうち135名が陸奥が爆沈した当日に実習のため乗艦し、124名が亡くなりました。

 

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記念館の前に艦首錨及び錨鎖が展示されています。

 

説明書き。

 

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陸奥記念館を観覧します。

 

基本年中無休ですが、最近は水曜日に臨時休館となることが多いようです。ホームページでご確認の上来館されて下さい。

 

「陸奥記念館」のホームページはこちら →→→

 

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それでは入館します。

4年前に訪れた時には個人を特定する物以外は撮影OKでした。

 

展示品の一部を掲載します。

 

陸奥の模型

 

15糎望遠鏡

 

拳銃

 

40糎砲架のプレート

 

長官公室舷窓

 

火薬缶

 

数多くの展示品がありますので、ぜひ訪れてみて下さい。

 

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記念館は以上ですので園内を散策します。

 

看板には陸奥公園となっていますが、今は「なぎさパーク」と言う名前になっているのではないかと。陸奥記念館、なぎさ水族館、陸奥キャンプ場の3施設で構成されています。なお看板に「2021年3月撤去」と書いてありますが、ココには海上自衛隊の飛行艇PS-1が展示されていました。

 

今はきれいさっぱり何もありません。

 

それでは、フェンスに設けられた陸奥のレリーフを見ながらお別れとします。

 

以上、陸奥記念館でした。

 

場所はこちらをクリック →→→

 

(訪問年月)2020年9月、2022年4月

 

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[参考資料]

・「日本海軍艦艇写真集 [第1] (戦艦・巡洋艦篇) 」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

・「我等の友よ今いずこ : 戦前戦後を通じ時代は変りゆく」 (国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

・「技術と経済 = Technology and economy (7)(136)」 (国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

・「海市のかなた」 (青山淳平、中央公論潮社)