今年5月、豆酘崎砲台に3回目の訪問をしてきました。

最初の訪問となった4年前に砲台のレポートを書きましたが、簡単に書き過ぎて内容も不正確だったことから、今回記事を書き直すことにしました。

 

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豆酘崎(つつざき)砲台は対馬南端の豆酘崎に昭和14年(1939)1月に竣功しましたが、昭和期に永久築城された対馬要塞10砲台で最後に完成した砲台となります。

 

地図で場所を確認します。

 

簡単な履歴は以下の通りです。

◆起工:昭和11年(1936)11月16日
◆竣工:昭和14年(1939)1月20日
◆備砲:試製十五糎連装加農(四五式十五糎連装加農) 2基4門

◆備砲完了時期:昭和13年(1938)12月30日
◆砲座設置標高:69m/81.95m
◆射撃の首線:真方位220度
◆任務:郷崎及大崎山砲台と協力し対馬南方海面に敵艦船の航通を妨害し我海上航通を掩護す

※参考:「対馬要塞の概略(昭和期/第三期築城)」はこちら→→→

 

続いて、豆酘崎における施設配置図を掲載します。

 

砲台は豆酘崎先端の高地に、電燈所は高地の稜線上に、兵舎や補助建造物は砲台後方の山あいに設けられました。さらに後方の尾崎山には、龍ノ崎砲塔砲台の豆酘崎観測所(八八式海岸射撃具観測所)が置かれていました。

なお、昭和10年11月の豆酘崎砲台建設要領書を見ると、当初は尾崎山に砲台を建設する予定でしたが、翌年4月に変更されて現在の位置での建設が始まりました。

 

大東亜戦争終戦後の昭和20年(1945)11月、米軍が対馬に上陸、旧日本軍の砲台の破壊を行うとともに通信施設や通信隊を置いて駐留しました。対馬北部の海栗島と南部の豆酘崎に基地を置きましたが、豆酘崎には1958年末までレーダー基地があったことが記録に残っているそうです。

米軍撤収後の跡地は公園として整備され、「豆酘崎園地」として今に至っています。

 

砲台の遺構ですが、観測所があった場所には灯台が置かれていますので観測所は消滅しましたが、2つの砲座と砲側庫、射光機の掩燈所が完存しています。


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遺構を見に行きますが、豆酘崎までは狭い道ながらも車で行くことができます。

なお掲載する写真は4年前から今年の物まで混在します。特に4年前は工事中でしたので、現在の様子と異なりますことご承知おきを。

 

豆酘崎園地の駐車場からスタートです。

 

豆酘崎園地の案内板が掲げられています。

 

この場所には兵舎や補助建造物など砲台関連施設がありましたが、戦後の米軍駐留時代にも多くの施設が置かれていました。

 

1955年の空中写真を見てみるとよく分かります。

 

キャンプ広場&駐車場周辺には遺構らしき物が散見されますが、旧陸軍の物か米軍の物かは判断がつきません。

 

倉庫のような建物。

 

貯水槽?

 

尾崎山の斜面に2つの水槽。

 

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続いて砲台周辺に向かいますが、広場の駐車場から狭い道路を進んで遊歩道直前まで車で行くことができます。その先には4台ほどの駐車スペースがあります。

 

見取図を描きましたので掲載します。

 

当時の交通路もしくは射光機の誘導路が遊歩道として整備されていますが、第1砲座&砲側庫①の場所は未整備です。

 

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まずは遊歩道を歩いて砲台左翼側の第2砲座方面に向かいます。

 

コンクリート柱が立っています。

 

他地域の砲台観測所周辺には似たようなコンクリート柱を見ることが多いので、観測に用いられた標柱だと思われます。

 

石段が山頂まで続いています。

 

山頂には灯台がありますが、当時は観測所に上がる石段だったのではないでしょうか。なお赤矢印の所に器材庫がありますが、後ほど見に行きます。

 

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石段を横目に見ながら進むと砲側庫②が現れます。

 

コンクリート製の半地下式砲側庫で2か所に出入口がありますが、鉄扉が残っているのは貴重です。米軍が駐留していたので盗まれることがなかったのでしょうね。

 

砲側庫前面には地下貯水槽らしき開口部がありますが、落ちないようにコンクリート片で蓋がされています。

 

それでは右側の出入口から中に入ります。

 

入ると縦長部屋があります。

 

縦長部屋の左隣に方形部屋があります。

 

さらに先には縦長部屋がもう一つ設けられています。

 

左側の出入口から出てきました。

 

見ての通り内部は3部屋構造でしたが、おそらく真ん中の部屋が弾薬庫(弾丸置場)、両端の部屋が砲具置場だったと推測されます。

 

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あまりお見かけしない横長タイプの砲側庫ですが、豆酘崎砲台の備砲は他の砲台に配備された単装の十五糎加農ではなく連装式でしたので、砲側庫も独特の形で構築したものと思われます。

 

当初の建設計画では豆酘崎砲台にも他砲台と同様に単装の四五式十五糎加農4門が配備される予定でしたが、地形的に4つの砲座を設けることが難しかったことから、連装式の十五糎加農2基4門を据え付けることになりました。

豆酘崎のような特殊地形に適応する装備として陸軍が開発したのが、四五式十五糎加農の砲身を2連装として防楯を付けた全重量45トンにのぼる火砲でした。この火砲は「試製十五糎連装加農」として昭和11年5月に設計に着手、昭和13年6月に射撃試験を実施した上で、同年12月に豆酘崎砲台に据え付けられました。なお連装加農が配備されたのは、豆酘崎砲台と下関要塞沖ノ島砲台の2ヶ所だけとなります。

この火砲に関する史料は非常に少なく設計図も写真も残っていませんが、沖ノ島砲台の史料には「四五式十五糎連装加農」と言う名称で書かれていますので、射撃試験後に制式制定されて名称が付与されたものと思われます。

 

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ところで、アジ歴には備砲工事に関する史料が残っています。

 

「対島要塞豆酸崎砲台備砲工事実施の件」(CC01007724800)

 

- 作業実施方針 -

1.火砲揚陸

繋船場に仮揚陸を行い団平船に積換えB桟橋に曳航し「シャース」に依り揚陸を実施

2.火砲運搬

「シャース」に依り揚陸したる火砲を台車に搭載し斜坂部の捲揚を実施す。山上に於て台車より卸下修羅台上に搭載轉子運搬を行う。

 

- 完了報告 -

昭和13年10月26日付指令の工事は同年12月30日に終了せしきに付報告す。

 

 

上記地図を見ると、捲揚した先は遊歩道手前の駐車場あたりですね。おそらくこの辺の斜面に捲揚路を設けて引き揚げたかと。

 

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砲側庫②の先(南側)に第2砲座があります。後方部分から見ています。

 

右横より。

 

据付部分の窪み。

 

連装加農の砲座が残るのは全国で豆酘崎と沖ノ島の2か所ですが、沖ノ島は神域のため一般人は立入禁止ですので、実質見れるのは豆酘崎だけとなります。なお、第1砲座の方が状態が良いので詳しくは後ほど紹介します。

 

ちなみに...。

上記の砲座写真は2020年12月に撮影しましたが、1年後にはこんな感じに(゚Д゚;)

 

今年5月の訪問時も草木に覆われてまともに見ることができませんでした。ここだけでしか見れない砲座なのに残念です(´・ω・`)

 

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高地のピークには観測所がありましたが、昭和62年に豆酘崎灯台が設けられました。なお現在は灯台の横に海上保安庁のアンテナ?が併設されています。

 

灯台の説明書きです。

 

現在の豆酘崎灯台は所謂2代目で、浅瀬の岩礁に明治42年に設けられたのが初代となります。光量増大の要望などがあったことから2代目として移設されましたが、初代灯台は現在もミョー瀬照射灯として利用されています。

 

展望所の先にミョー瀬照射灯が見えます。

 

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ところで、観測所に設けられた観測機器は対馬の他砲台と同じく「九八式海岸射撃具」が大東亜戦時下の昭和17年(1942)11月に据え付けられました。

「九八式海岸射撃具」は、昭和3年(1928)に制式制定された八八式海岸射撃具の軽量改造版として十五糎加農砲台用に開発されました。主な相違点は、火砲への射撃諸元の伝達方法、伝達に用いる電気方式、潜望式ではなく直視型の測遠機採用などでした。詳しくは『砲兵沿革史 第3巻(兵器器材)P95~』にて。

史料を読むと「九六式海岸射撃具」も散見されますが、これは制式上申準備中の呼称です。昭和13年(1938)に制式制定されて九八式と改められましたので九六式=九八式となります。

 

棹崎砲台の観測所と同型だったかも...と言うことで写真を掲載しておきます。

 

 

 

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次は観測所後方に残る器材庫を見に行きますが、次回後編にて取り上げます。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第二巻 對馬要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「日本陸軍の火砲要塞砲」(佐山二郎著、光人社ノンフィクション文庫)

「北部九州の軍事遺跡と戦争資料」(花田勝広著、サンライズ出版)

「対馬砲台あるき放題~対馬要塞まるわかりガイドブック」(対馬観光物産協会)

「対馬要塞物語2」(対馬要塞物語編集委員会)

「対島要塞豆酸崎砲台備砲工事実施の件」(Ref No.C01007724800 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「砲台建設要領書中一部改訂の件」(Ref No.C01005449700 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「対馬要塞司令部歴史 明治19.12.3~昭和20」(Ref No. 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用