その3では砲台から下って竹崎浦に設けられた補助建設物を見に行きます。

 

砲台南側に位置する「兵舎・発電所」と記載した場所です。

 

 

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破壊されたコンクリート構造物(観測所&砲側庫)の南側出入口を起点として軍道が伸びていますが、砲側庫から第1砲座への弾薬搬入路として使われたかもしれません。


第1砲座の西側を下っています。

 

谷側には石積みが施されていますが、道がカーブする部分に転落防止の車止めコンクリート突起物が並んでいます。

 

軍道の分岐点です。海岸には右に折り返して下って行きます。なお直進すると電燈所に繋がっていますが、こちらは次回取り上げます。

 

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今年の再訪では海岸に下りませんでしたので、ここからは4年前の12月に撮影した写真を掲載します。

 

分岐点辺りから海岸の桟橋と水尺(もしくは規正標柱)が見えます。

 

多少荒れていますがまぁまぁ歩けます。

 

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軍道起点から海岸まで約15分かかりましたが、ここで戦後の1947年に撮られた空中写真にて施設跡を確認してみます。

 

 

竹崎浦の浜辺に複数の施設が写っています。矢印で建物と思われる影を示しましたが、ここに兵員の棲息施設、給水施設、発電所などが置かれていました。

 

土塁の中に建物基礎。発電所だと思われます。

 

角度を変えて。なお土塁はコの字に設けられています。

 

水槽が付属しています。

 

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給水塔と関連施設です。

 

深そう...。

 

給水塔の横に建物があったようですが区画は分かりません。

 

これは便所でしょう。

 

兵舎地でよく見かけるゴミ箱のような構造物。

 

他にも建物基礎は残っていると思いますが、藪が濃いので深追いしませんでした。

 

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水路を辿って海岸に出てみます。

 

竹崎浦の海岸に出ました。

 

当時の桟橋が残っています。

 

素敵な石積みです。

 

桟橋から眺める海も青くて素敵です。

 

桟橋の先端に水尺(もしくは規正標柱)が立っています。

 

『日本築城史』には水尺と規正標柱について以下のように記述されています。

 

「測遠機で目標の距離方向を精密に測定するため、修正用として規正標柱、水尺、測量用標石、測量基点を附属設置した。

規正標柱は、使用するたびに測遠機を測遠機台上に置くが、測遠機の中心位置を正しくとるために、観測所の外に、遠・中・近の各距離に2ないし3箇の規正標柱を設けておき、測遠機据付の際、これら規正標柱を覘視し、測遠機の修正器を規正し、既定の中心点と測遠機の中心を一致させ、方向角を正しく与えるようにしたものである。

水尺は、海水の干満量を直接読み取り、射撃時の海水面の高さを、測遠機上に修正し、垂直基線の長さ(測遠機中心の標高)を正確にするための量水標である。これは観測所から、双眼鏡を用いて、明瞭に量水分画(10センチごと)を読むことができる波静かな海中に設けられた。」

 

ヒキで見てみます。

なお同様の標柱は豆酘崎、西泊、海栗島、郷崎に残っています。

 

 

以上、これにて竹崎砲台の記事書き直しを終わります。

次回は砲台東南方に置かれた電燈所の遺構を紹介します。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第二巻 對馬要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「対馬砲台あるき放題~対馬要塞まるわかりガイドブック」(対馬観光物産協会)

「対馬要塞物語2」(対馬要塞物語編集委員会)

「対馬要塞竹崎砲台備砲工事竣功図書提出の件」(Ref No.C01004455500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用