後編では2つの観測所を見て行きます。

 

 

第4砲座の左側に二十四糎加農砲台の左翼観測所が置かれています。

 

2つの部屋(右を通信室、左を計算室と仮置)と円形の測遠機室、上部に砲台長位置が設けられていますが、東京湾要塞小原台演習砲台や由良要塞深山第一演習砲台などに類似の観測所が残っていますので、この形が大正~昭和期にかけての二十四糎加農演習砲台観測所の基本だったのかもしれません。

 

右側の通信室です。

 

内部。。。壁の手形が怖いんだが(゚Д゚;)

 

天井には砲台長位置と繋がる孔があります。

 

続いて左側の計算室です。

 

内部を見ていますが、電球のソケットが垂れ下がるなど戦後に人が住んでいた痕跡が残っています。なおこちらの天井にも孔が設けられています。

 

計算室前面の測遠機室に行く前に砲台長位置(もしくは中隊長位置)に上がります。

 

人が一人立てるだけのスペースですが、両壁に各部屋と繋がる孔があります。

 

右横から見下ろしています。

 

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計算室の奥が測遠機室ですが、境目の矢印の箇所にブロックが積まれています。

 

よく見てみると戦後のブロックですので、窓を造るために家主が積んでのでしょう。当時は計算室から扉を開けて測遠機室に入る構造だったのではないでしょうか?

 

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測遠機室はコンクリート製の円形掩体で、中央に測遠機台が置かれています。

 

掩蓋はコンクリートで覆われていたようですが破壊されています。

 

内壁にリベット痕が見られますので、鋼製掩蓋が取り付けられていたようです。

 

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二十四加観測所の前に小さな円形窪地があります。

 

円形窪地の斜め前に大きな窪地がありますが、昭和期の照空陣地関連の窪地なのか、ただ単に崩落した跡なのかは分かりません。

 

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1つ目の観測所を見終わりましたので、次は2つ目の「八八式海岸射撃具分観測所」を見に行きます。

 

この観測所についてアジ歴で調べてみると、「下関要塞数珠山二十四糎加農左翼観測所西方約十五米、標高約四十四米附近ニ、八八式海岸射撃具用分観測所一ヲ設ク」と書かれた史料があり、現地には記載通りの場所に遺構が残っています。

竣工は昭和10年(1935)2月2日で、翌昭和11年4月21日に八八式海岸射撃具分測遠機の据付を完了しました。

 

測遠機による観測は、既知の基線を使用した垂直基線方式と地上(水平)基線方式が主体でした。前者は観測所の標高を基線とし、目標の吃水線を照準した際の俯角を測定して水平距離を求めるもの、後者は地上の2点間の水平距離を基線とし、両点で目標角を測るものでしたが、地上基線方式では主測遠機とは別の一端に分測遠機を配置して方向角を観測しました。

 

珠数山演習砲台では昭和3年に八八式海岸射撃具観測所を構築(砲台敷地の北側)しましたが、昭和9年に八八式海岸射撃具を改修して地上基線式に変更する旨の稟議が出されています。前述の通り昭和10年には分観測所を新設(砲台敷地の南側)していますので、垂直・地上両方式の観測演習ができるように整備したと言うことなのでしょう。

 

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分観測所を上から見ています。

 

八八式海岸射撃具観測所は地下式が基本ですので外観は地中に埋もれています。測遠機は潜水艦のような潜望鏡で、観測する時は眼鏡を地上に出していましたが、写真では潜望鏡を出す開口部が確認できます。

 

左側の外壁が露出しています。おそらく戦後に盛土が削られたのでしょう。

 

前方部分の外壁も露出しています。

 

前壁に窓のような開口部がありますが、埋もれていた部分なので窓があるのは解せないです。おそらく戦後に開けられたのではないかと。

 

後方の出入口です。

 

それでは中に入ります。

 

内部は狭いですが、凹んでいる部分に測遠機が置かれていました。

 

戦後に住居もしくは倉庫として使われた痕跡が残っています。

 

潜望鏡の開口部です。ケーブルを通していたような土管が見えます。

 

他地域の八八式観測所には測遠機を据え付けた3本の支柱が残っている所が多いですが、ココは堆積物が多く確認できませんでした。

 

参考までに深山演習砲台の八八式観測所の3本柱を掲載します。

 

史料に掲載されている分測遠機のイラストを引用します。

(八八式仮制式外3点審議の件 Ref No.C01001117400 アジア歴史資料センターより引用・抜粋)

 

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それでは、凹みから出入口側を見ながら退出します。

 

以上、数珠山演習砲台の記事書き直しでした。

 

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[参考資料]

「現代本邦築城史」第二部 第三巻 下関要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「下関重砲兵聯隊史」(下関重砲兵連隊史刊行会)

「演習砲台新営工事の件」(Ref No.C01003808500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞除籍演習砲台附属補助建設物利用の件」(Ref No.C03010941300 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞演習砲台関係竣功図書の件」(Ref No.C01007468800 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「八八式海岸射撃具改修の件」(Ref No.C01006648700 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞演習砲台増築に関する件」(Ref No.C01004055200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞珠数山演習砲台増築の件」(Ref No.C01003861100 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習用24糎加農交換に関する件」(Ref No.C01006058400 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台新営工事の件」(Ref No.C01003808500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「金比羅山堡壘観測所移築の件」(Ref No.C03022413900 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞地帯一部改正及禁止制限解除の件」(Ref No.C03022441000 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞珠数山演習砲台(88式分観測所)引継の件」(Ref No.C01004057200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関重砲兵連隊演習砲台八八式海岸射撃具分測遠機据付工事竣功図書提出の件」(Ref No.C01004604300 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関要塞演習砲台増築に関する件」(Ref No.C01004055200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台新設に関する件」(Ref No.C03022702100 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関重砲兵連隊演習砲台増築工事の件」(Ref No.C01003736700 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「土地買収の件」(Ref No.C0301206200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台備砲工事実施並兵器調弁の件」(Ref No.C01006063200 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台備砲工事実施の件」(Ref No.C03012228400 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「下関重砲兵聯隊24糎加農演習砲台新設工事実施の件」(Ref No.C03022754500 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台竣功図書提出の件」(Ref No.C01003735900 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「演習砲台新営工事の件」(Ref No.C01003910600 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「八八式仮制式外3点審議の件」(Ref No.C01001117400 国立公文書館アジア歴史資料センター)

「兵器を中心とした日本の光学工業史」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本光学工業五十年史 2 (日本社史全集)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「砲兵沿革史 第3巻 (兵器器材) 」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「砲兵沿革史 第1巻 (制度) 」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「偕行 (353);5月号」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「兵器読本」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「砲兵沿革史 第5巻 中 (回顧録 其の2)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)