今日は壱岐島の南西に浮かぶ長島に構築された長島電燈所をレポートします。

 

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長島は大島、原島とともに渡良三島を構成しています。3島を巡るフェリーが壱岐の郷ノ浦港から出ていますが、長島と大島は珊瑚大橋で繋がっています。

 

地図で場所を示します。

 

壱岐島から見た渡良三島です。

 

長島から大島に架かる珊瑚大橋を見ています。

 

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長島電燈所は射光機(探照灯、サーチライト)による夜間時の警戒と加農砲の射撃補助が任務でした。大島には前回レポートした十五糎加農砲台が構築されていましたが、電燈所は砲台から南に約1.6kmの位置に設けられました。

 

簡単な履歴です。

◆起工:昭和5年(1930)12月8日

◆竣工:昭和8年(1933)2月13日

◆装備:シ式二米射光機、発電所

 

渡良大島砲台は昭和12年の築城ですが、電燈所は4年前の昭和8年に竣工しました。

 

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見取図を描きましたので掲載します。

 

フェリー桟橋から南西に歩いて行くと迷彩塗装された建物が現れます。さらに進むと地下発電所が残っており、島の南端には射光機を格納した掩燈所があります。掩燈所から伸びる誘導路を上がると射光機を配置した照明座があったと思われますが、戦後に灯台が建てられたため消滅しました。

 

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それでは現地に向かいます。

長島に上陸すると桟橋の前に長嶋神社が鎮座しています。

 

集落を進んで行きます。

 

手前に原島(はるしま)、奥に壱岐島が見えます。

 

集落を抜けると...。

 

道から分岐した少し高い位置に迷彩建物が現れました。桟橋から15分ほどです。

 

迷彩が施されたコンクリート建物です。

 

海側に面した壁に窓が2つあります。

 

山側にも海側と同じ位置に窓が設けられていますが大ヤブです。

 

迷彩をヨリで見てみます。

 

壁面が鱗状に細工されて着色されています。この形状は豊予要塞界隈でよく見られますが、壱岐要塞ではここだけです。なおこの鱗は光の反射を抑えて敵機による空中写真から写り難くするための加工だと言われていますが、受け売りなので定かではありません。

 

斜め前から見ています。

 

梁間方向に大きな開口部と出入口があります。

 

内部は藁が詰め込まれていますので、間取りがどうだったのか、床面に機器の据付台座があったかどうかは分かりません。

 

窓からも覗いてみましたが特筆すべき物はないですね。

 

建物前方の景色。左側手前に机島、右奥に馬渡島が見えます。

 

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迷彩建物の用途は不明ですが、考えられる用途を以下に列挙しました。

 

① 旧発電所

地下発電所は建物の近くに残っていますが、発電施設を地下に移したのは大東亜戦争開戦後で、それまではこの迷彩建物を使っていた可能性があります。

 

②射光機の格納庫

射光機は移動式でしたのでこの建物に格納していたかもしれませんが、格納庫は掩燈所として別に存在しますので可能性は低いと思われます。

 

③ガレージ

車が入れそうな大きな開口部があることからガレージかもしれません。

 

④兵舎・烹炊所

電燈所に勤める兵員の棲息施設とも考えられますが、見た目的には微妙です。

 

⑤水中聴測所

長島には水中聴音機を用いて敵潜水艦を探索する水測隊(水中聴測所)が置かれていましたので、その施設だった可能性があります。

 

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それでは⑤について掘り下げます。

 

海軍は大東亜戦争以前から水中聴音機を装備した防備衛所を沿岸各地に配備していましたが、陸軍が水測要員の教育や聴音機の要塞への配備を始めたのは戦時下の昭和18年以降のことでした。

陸軍が用いたのは菊型水中聴音機でしたが、これは海軍の九七式沿岸用水中聴音機をモデルとしていました。受音器13個を円形に取り付けた架台を海中に設置し、電纜で陸上の聴音機本体と接続して聴音手が目標音源の方向を最大感度で探索する...と言うものでした。

 

右は聴音機を用いて水中聴測を行う聴測手、左は聴測で得られた敵艦の位置を記録する図解室の写真です。

 

陸軍では潜航する潜水艦もしくは目視困難な敵艦船の位置を捕捉し、これに対し要塞砲の射撃ができるよう正確な目標位置の決定が要求されました。そこで昭和18年頃から菊型水中聴音機を各地の要塞に配備する計画を立てましたが、器材設置は大幅に遅れ、器材・人員が充実して機能を発揮したのは壱岐要塞の長島に配置された水測隊(水中聴測所)だけでした。

 

長島における水中聴測所の場所や施設は不明ですが、迷彩建物は海面通視が良好な場所にあり、発電所や兵舎が置かれていたと思われる平坦地も近隣に存在することから、迷彩建物は水中聴測所だったのではないかと考えています。

...としつつも建物の造りはまんまガレージなんですけどね(^^;

 

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道を南に進んで振り返って見ています。

 

矢印の位置に迷彩建物があります。大きな開口部の前面は大ヤブでしたが、当時は地下発電所まで繋がっていたと思われます。

 

道なりに進むと、なんと案内看板が現れました。

 

ここでその1を終わります。続きはその2にて。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第十七巻 壱岐要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「日本陸軍の火砲要塞砲」(佐山二郎著、光人社ノンフィクション文庫)

「壱岐要塞兵備資料」(防衛研究所)

「砲兵沿革史 第1巻 (制度)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「写真週報 (312) 」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「偕行 (451);7月号」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「偕行 (353);5月号」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)