今日は小首堡塁左翼側(南側)に設けられた十五糎加農砲座を見に行きます。

 

現地説明看板より抜粋・加筆修正した見取図です。

 

小首堡塁の主力砲は二十四糎加農でしたが、副砲としてドイツ・クルップ社製の克式三十五口径前心軸十五糎加農が2門が配備されました。この火砲は日清戦争(明治27-28年)で鹵獲した戦利品で、東京湾要塞観音崎第四砲台と舞鶴要塞金岬砲台にも据え付けられました。

『日本築城史』ではこの火砲について、「砲身が長く旋回時に尻を振るので尻振り大砲と呼ばれたが、射程は14キロもあり、当時最優秀な火砲であった」と書かれています。

 

なお加農砲の名称に「前心軸」とありますが、この火砲は固定した前方部分を方向照準旋回軸として前後車輪で左右に動かすタイプだったようです。

 

上の見取図に写真が載っていますが、以前描いたイラストも掲載します。

 

砲床が独特な形状ですので、観音崎第四砲台や金岬砲台には軌条溝や旋回軸の痕跡が残っているのですが、残念ながら小首堡塁の砲座では確認できませんでした。って言うか堆土のせいで掘らない限り分からんってね(^^;

 

写真は観音崎第四砲台ですが、痕跡が見て取れますよね。

 

参考リンク:

東京湾要塞観音崎第四砲台

 

舞鶴要塞金岬砲台

 

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二十四糎加農砲座の左翼観測所の南側の階段を下りて行きます。

 

下りて塁道を南東に歩くと第3号砲側庫が現れます。

 

第三号の彫り込みがあります。

 

内部です。二十四糎加農の砲側庫の壁はレンガ積みでしたが、こちらは石積みです。ちょっと幅も狭いかな。

 

顔の部分はレンガですね。あ、それと窓が片側しかありません。

 

それと相違点がもう一つ。掩蓋の穹窿コンクリートが入口に対して長めに造られています。いわゆる庇が長いってことです。

 

ちなみに二十四糎加農の砲座はコレ。明らかに違いますよね。

 

この庇長めタイプの砲側庫は他地域の堡塁砲台でもよく見かけますが、24加と15加の砲側庫の造りをわざわざ分けたのは何か理由があるのでしょうか。

 

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砲側庫を出ると南側に砲座がありますが、なんと胸墻が横一線に築かれています。

 

砲座と言えば多くの場合曲線で作られていますがココは直線。アバウトに計測したら21mありましたが、右側は埋もれているのでもっと長いと思われます。なおココに十五糎加農が2門配備されていました。

 

これまた見かけたことがない弾室の穹窿部分がレンガ積み(・∀・)

 

弾室の蓋の留め具?が残っています。

 

さらに驚くのは隣の弾室にキーストーンがはめ込まれていることです。って言うかこんなんみたことないわ!(*'▽')オサレ

 

この2つの弾室の間が左砲車の加農砲の据付位置だと思われます。

 

床面の土を掃ったわけではないので砲床の有無は分かりませんが、胸墻の外側の形状がここだけ異なっているからです。

 

見ての通り段差が付いていますが、確認した限りでは他は平らなので。

上から見るとこんな感じ。

 

右砲車はたぶん木が倒れ掛かっている所だと思われます。

 

さっきは1個でしたがこちらは2個並んでいます。

 

キーストーン付き弾室が状態良く確認できます。

 

右端は埋もれているのでどうなっているかは分かりません。

 

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胸墻を堪能しましたが、砲座の後方のやや高い位置には砲台長位置が設けられていますので行ってみます。

 

砲台長位置の入口。

 

内部です。半円になっていますね。

 

前方より。

 

この砲台長位置は日露戦争(明治37-38年)の戦備作業で構築されましたが、構造は以下の通り書かれています。

 

構造:壁煉瓦積 掩蓋鋼製(片流し) 

長・幅:前部半径1米80 後部1米80 0米90

積:2㎡90

入口数・窓数:各1個

摘要:十五糎加農砲座の右方にあり 同砲座後方より距離7m

 

実際測ってみたら1.8mでピッタリでしたし置かれている位置も間違いありません。

 

ってか片流しって何?

一方向に傾斜している屋根を片流れ屋根と言いますがそれのことでしょうか?となると半円部分の上に鋼製掩蓋が斜めに被さっていたってことかな。

 

ちなみに、これと同様の物がその2で紹介した右翼観測所の横にあったと史料に書かれています。史料通りにこちらは存在しているので、向こうもあったでしょうね。見逃して残念です。

 

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では十五戦加農砲座から棲息掩蔽部の前に戻りますが、その途中にが置かれています。

 

大便槽と小便槽が確認できます。

 

これにて小首堡塁で確認した遺構の紹介はすべて終わりました。

次回は堡塁からやや離れた位置に構築された地区司令所を見に行きます。