今日は山口市大内長野にある長野八幡宮を訪れます。

ちなみに、こちらの八幡宮に砲弾が置かれているのに気づいたのは最近のことでした。山口市民なのに近場を見逃しているとはね(^^;

 

 

やってきました(・∀・)

 

由来です。

 

鳥居の横に大きな石碑が置かれています。

 

「長野児童遊園地 〇〇誕生記念」と彫られているようですが、〇〇が判読できません。ただ、境内は広くて庭園のようになっており遊具も置かれていますので、古くから児童遊園地として親しまれたのでしょう。

 

秘密のトンネルがこしらえてあったり、、、

 

池に鯉が泳いでいたり、、、

 

五重塔が建っていたり、、、

 

庭園になっていたり、、、

 

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長い参道を歩いていくと、参道右手に奉納砲弾が立っているのに気づきました。

 

こちらです。

 

後方から。台石には何も彫られていません。

 

砲弾をアップで見ると何か書かれていますが、判読は難しいです。

 

ところでこの砲弾、表面が把手のように凸しているのが特徴的ですね。

 

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さらに参道を進むと、なんともう1発現れましたw(゜o゜)w

 

こちらは台石に文字が刻まれています。正面には「奉納」の文字。

 

裏面には「明治四十年二月 長野 岡 嘉太郎」とあります。

 

日露戦争が終わった2年後ですので、戦利品を奉納したのかもしれませんね。

 

1発目の砲弾より大きく、直径約19㎝、長さ約42㎝ほどでした。

 

参道沿いに2発も現れたので高ぶってしまいましたが、参拝します。

 

本殿手前の右側に、紀元二千六百年奉祝記念の石碑が建っています。

 

初代天皇の神武天皇が即位した年を紀元元年とする紀年法では、昭和15年(1940)は紀元2600年と言う節目の年でしたので、日本各地で祝賀行事や記念碑の設立が行われました。この奉祝記念の石碑もその一つですが、奉納したのは「支那事変従軍者一同」で、さらに「燈篭一基」を奉献すると彫られています。

 

「国威宣揚」と彫られた燈篭が石碑の横に立っています。

 

支那事変とは、昭和12年(1937)7月の盧溝橋事件を発端として起こった日本と中華民国との全面戦争のことです。支那事変は当時の日本側の呼び名で、戦後に日華事変、日中戦争と呼称が改められました。

支那事変は早期の決着とはならず、結局昭和20年8月の日本の敗戦まで続いたわけですが、紀元2600年が祝われた昭和15年は戦争3年目で泥沼化の様相を呈していた時。国民生活にもしわ寄せが及んだばかりか欧米諸国からの非難も受けて窮地に立たされていましたので、国家の威光を示そう!と言う意味の「国威宣揚」が全国で使われました。なのでこの言葉を刻んだ石碑は、今でも日本各地に残っています。

 

以上、長野八幡宮の奉納砲弾でした。

 

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