大東亜戦争末期の昭和20年(1945)、下松市は6回の空襲を受けました。『下松市史』から引用します。
1回目:昭和20年5月10日 B29 約300機
徳山の海軍燃料廠および岩国の陸軍燃料廠を狙った空襲でしたが、下松市にも軽微ながら被害を受けました。負傷者4名、建物損壊3戸。
2回目:昭和20年6月30日 B29 30機
下松市の工業地帯が狙われ、日立製作所笠戸工場と日本石油下松製油所などを中心に被弾。死者64名、負傷者16名、建物損壊69戸。
3回目:昭和20年7月15-16日 B29 機数不明
2回目と同じく日立製作所笠戸工場と日本石油下松製油所が被弾。死者57名、負傷者36名、建物損壊72戸。
4回目:昭和20年7月22-23日 B29 42機
下松の工場地帯を空襲。死者、負傷者不明、工場以外の建物損壊3戸。
5回目:昭和20年7月25日 艦載機 100機
笠戸船渠笠戸造船所と江ノ浦に被弾。死者2名、負傷者9名、工場以外の建物損壊11戸。
6回目:昭和20年7月28日 機種・機数不明
笠戸船渠笠戸造船所と江ノ浦に被弾。死者3名、負傷者9名。
特に2回目と3回目の空襲による被害が甚大でしたが、この時の空襲による爆弾跡が、桂木山(宮ノ洲山)の山頂一帯と茶臼山の登山口付近に残っています。
昭和22年(1947)の空中写真にて。
それでは桂木山(宮ノ洲山)に登りますが、ハイキングコースが整備されていますので簡単に登ることができます。
山頂の先に爆弾跡があります。
登ります。
途中の展望地。赤い笠戸大橋が見えます。
山頂の三角点を越えて進みます。
爆弾跡です。歩いて10分程度で到着します。
説明書きがあります。
爆弾跡はいくつも残っています。
奥の日立製作所笠戸工場は今も操業していますが、手前にあった日本石油下松工場はすでに撤退しており、ソーラーパネルが並んでいます。
茶臼山登山道より見ています。
ではもう一つの爆弾跡を見に行きます。
茶臼山登山道へ。
10分も歩けば爆弾跡が登山道沿いに現れます。
説明書き。
以上、下松空襲の爆弾跡でした。
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