後編は指揮所、聴音機、発電所を見ていきます。
前編の最後でも書きましたが、探照灯の掩体から下って行くと指揮所が現れます。
まずは外観から。
2つの出入口がある指揮所の正面を左斜めより見ています。建物はレンガ積みモルタル塗りですが、モルタルが剥がれてレンガが露出している箇所も見られます。
今度は右斜めより。
指揮所後方より。戦時着工の指揮所の特徴となるタワー部屋が見られます。
タワー部屋の横に便所があります。手前が大、奥が小便槽です。
では指揮所正面に戻って。
入口の前に台座や沓石?が置かれています。これらは他地域の指揮所でも見られますが用途不明です。
台座の上にモーターの枠みたいな部品が置かれています。
指揮所の内部に入りました。左を見て...。
右も見る。
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さて、照聴所の指揮所は着工時期によって異なる点があることはこれまで何度も語ってきました。その一つが屋根と仕切り壁です。
これまで見てきた指揮所の遺構では、戦前物の屋根と仕切り壁はもれなく残っていますが、戦時物にはまったく残っていません。
その理由ですが、戦前物の屋根は鉄筋コンクリート、仕切り壁はレンガ積みモルタル塗りだったのに対し、戦時物はおそらく木材で作られていたので、終戦後の資材不足の折に解体されて持っていかれたのでないかと推測しています。
戦時物と戦前物の間取りです。
参考までに、戦前物の内部です。
写真は向道聴測照射所の指揮所ですが木材が残っている稀有な例です。
戦時物の指揮所の天井もこれと同様に梁桁、野縁が組まれて天井板が張られていたと思われます。そして屋根ですが、戦前物のような鉄筋コンクリート造りではなく別の工法かと。瓦のがれきが一切見られないので瓦葺は除外すると、板葺かトタン葺かと言うことになりますが、さて。
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さらに、戦前戦時着工でもう一つの異なる点は、戦時物にはタワーがあることです。この部屋の仕切りは木材ではなくレンガ/モルタルなので現存しています。
戦時物と戦前物の両方にとも同じ場所に部屋がありますが、戦時物は屋根の上に突き出ているのに対し戦前物は屋根と同じ高さです。タワー化したのは機器の発する熱の滞留を防ぐために高さを出したと推測しますが定かではありません。
部屋の内部です。2段の窓枠が残っています。
仰ぎ見る。天井には鉄筋が入っていますね。
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指揮所の紹介は以上で終わりですが、指揮所正面の斜面に塹壕や窪地がありましたので辿ってみました。写真はその内の1つですが、塹壕ではなくケーブル溝かも。
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それでは指揮所から南に進んで空中聴音機の掩体を見に行きます。
空中聴音機は敵機の音を探知して距離や方向を測定する装置ですが、大水無瀬では標高232mの山頂に置かれていました。
山頂に上がってみると、すり鉢状の円形窪地と窪地中央に据付台座が残っています。
仮称ヱ式空中聴測装置が据え付けられた台座です。上部の直径は約100㎝、アンカーボルトは9本。他地域の物と同型となります。
台座はコンクリート床の上に置かれています。
聴音機掩体の全景です。同行者がいるので掩体の大きさが分かります。直径約20mのすり鉢状の円形窪地です。
掩体の土塁に2つの切れ目があります。右は掩体への出入口ですが、左は退避壕へ下っています。
石積みされた凹み...退避壕ではないかと思われます。
奥には入れません。
これにて山の上の遺構は見終わりましたので、海岸付近に設けられた発電所を見に行きます。
位置を再確認します。
発電所は海岸を見下ろす削平地にあります。
見取図です。
発電機の据付台座や二槽式水槽は残っていますが、あったであろう油脂庫は現存していません。レンガ/モルタル造りなので残っていることが多いんですけどね...。
二槽式水槽です。
内壁に梯子が残っています。
見取図で“A”の遺構です。用途は不明。
発電所でよく見かける遺構“B”、その向こうに“C”と便所です。
遺構“C”です。大きな円形の穴が2つと小さな穴が4つあります。
これと同じような穴は安居島照聴所などでも見かけましたが、ここまできれいに残っているのは初めてです。
大きな丸い穴の中は小さな穴側に方形の凹みが設けられています。
梯子があるので中に入ることができます。
内部を見てみます。まずは“a”。配管は小さな穴からの物です。
続いて“b”。
“b”だけ2本の配管があり、後の3つは1本でした。
用途としては、隣接する水槽の冷却水をここに溜め、ポンプで引き揚げて配管を通じて発電機側に送る、逆に排出された冷却水も受けるので槽が分かれている、と言った感じでしょうか...知らんけどw
もしかしたら遺構“B”は冷却水のポンプの台座かもしれませんね。
ディーゼル発電機の据付台座です。
6本のアンカーボルトが残っていますが台座は破損しているのでもう少し大きかったかもしれません。ちなみに発電機は2基置かれていたようですが、1基分だけの台座しか確認できませんでした。
奥側から見ています。
発電所の建物基礎ははっきり確認できず。油脂庫の痕跡も分かりませんでした。
発電施設のやや上方に海軍標石が埋設されています。
“六”の通し番号が彫られています。
発電所のすぐ下は海岸です。
以上、確認した遺構の紹介が終わりましたので島を離れます。
大水無瀬島、バイバイ(^^)/~~~
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[参考資料]
JACAR(アジア歴史資料センター)
・呉海軍警備隊戦時日誌(Ref No.C08030470300~C08030475700)
・呉鎮守府戦時日誌(Ref No.C08030329500~C08030330300)
・昭和20年9月1日 兵器軍需品施設等目録 呉海軍警備隊(1)(2)(Ref.No.C08011271900,C08011272000)
・徳山海軍警備隊戦時日誌(Ref No.C08030476000~C08030476200)
・兵器目録(Ref No.C08011396900)