長々と書いてきた書き直しも今回が最後となります。

 

赤丸からスタートして赤線を進みます。

 

4連の棲息掩蔽部です。

 

向かい側に2連。

 

合計6部屋ありますが、ちょっと窮屈そうですね。

 

掩蔽部の顔はよく見かける面構えをしていますが、おしろいが塗られていますw

漆喰が塗られて内部の壁が白いのはよくありますが、顔に塗られているのはココだけでは?(^^;

 

先日9月下旬の訪問時は管理人さん不在で掩蔽部に鍵がかかっていましたが、いる時には扉が開放されていますので、その時に見た内部の写真を掲載します。

各部屋は後方の開口部で行き来できます。

 

6部屋とも同じ感じですので掲載は1枚だけにして、狭い隙間に設けられた階段をあがり、上に見える橋を渡りに行きます。

 

「その3」で通った所に出てきました。砲側庫①や砲座Aのある場所です。

 

上がってきたのはココ。

 

そしてコレを上がると、、、

 

橋から棲息掩蔽部を見下ろすことができます。

 

橋を渡ると、「その2」で紹介したトンネル内掩蔽部の2つの笠付き通気口を通ります。

 

さらに進むと広場がありますが、当時からあったのかキャンプ場整備で設けられたのかは不明です。

 

ちなみに、トンネル東側出入口の横に設けられた階段からも上がれます。

 

こちらが山頂です。見取図では営庭としています。

 

特別何もない広場ですが、周囲は石積みで囲われていますし、入口方面に下る通路も立派に積まれています。

当時もただの営庭ではなく何か用途があったのではないかと思いますが、、、。矢筈山には昭和の大東亜戦争中に照空陣地が置かれていた記録が残っていますのでココに築かれていたのかも。

 

それでは山頂から下りていきます。

 

左の道から下ってきて、曲がってさらに下ります。

 

堡塁入口が見えてきました。

 

ゴールして振り返って見ています。

右の道から下りてきました。左の道は麓から上がる軍道で堡塁入口となります。

 

これにて堡塁内をすべて歩きましたので矢筈山堡塁の探訪記を終えることにしますが、周囲に残る陸軍境界標石もいくつか載せておきます。

 

表が「陸」、裏が「防三七」。よく見かける表示です。

 

一面のみ刻字で「陸 二〇」。下関要塞界隈ではあまり見かけない表示です。

 

一面のみ刻字で「陸軍 四一」。これまたこの辺ではあまり見かけませんね。

 

それでは、山頂に咲くヒガンバナの蜜を吸うキアゲハを見ながらお別れとします。

 

以上、矢筈山堡塁でした。