その2では赤丸の所からスタートします(・∀・)
トンネルに入っていきますがその前に...
入口上部に銘板の跡が残っています。
たぶん竣工年や工事責任者が刻まれた銘板だったと思われますが、文字は読み取れませんでした。彫られていた字は掠れてしまったのか剥がれてしまったのか、、、。
参考までに田向山砲台の銘板を載せておきます。
トンネル内部には両サイドに部屋(掩蔽部)があります。
南東側の部屋の顔。灯り置きのような小窓が2つ付いています。
内部は奥行がなく狭いです。
次は北西側の部屋。顔は同じですね。
こちらは最初の部屋と幅は同じですが長いですね。
さてこの2つの部屋の用途ですが、見取図には弾薬支庫/装填室と書きました。堡塁工事中の明治29年に出された「脚壁の仕様変更伺い」の史料を見てみると、「弾薬支庫装填室暗路脚壁」が変更箇所として挙げられています。暗路はトンネルのことですが、トンネルは堡塁内にココしかありませんので、「弾薬支庫と装填室のある暗路」と解釈して見取図に記載しました。
ところで、この2つの部屋の天井を見ると通気口の穴が開いていますが、地上にどのように出ているかを見てみると、、、。
なんと鉄板の笠付き!おそらくオリジナルでしょう(・∀・)
2部屋とも残っていますので2つ目。
2つセットで。
では順路に戻って、、、。
トンネルを抜けると広場になっています。
出てきた正面のトンネル右手の階段を上がると山頂へ、左に進むと砲座方面に行くことができますが、注目は赤矢印の箇所です。
不明基礎とはコレ。
星形のコンクリート基礎が残っていますが何が立っていたのでしょう?アンテナとか?当時物なのか戦後物なのかも判断付きません。
星形の近くには棒?竿?の土台のような物もあります。
不明基礎の辺りから北東方向の谷側を見ています。
写真奥にキャンプ場のステージが設けられているのですが、どうもココの場所は堡塁があった当時から地形が削られている気がするんですよね。
この右手には加農砲のものと思しき砲座が残っているので、いっそココには臼砲砲座があって、加農砲座との間に横墻の盛り土がされていて、その下に地下砲側庫があったりした方がしっくり来ます(笑)
図を描き変えるとこんな感じ、、、想像(妄想?)するだけならタダです(^^;
では加農砲のものと思しき砲座...見取図で砲座Aとした場所に行ってみます。
4つ前の写真に砲座方面と示した方向を見ています。
これをまっすぐ行くと砲座Bに出るのですが、砲座Aに行くには左のキャンプ場施設の裏手から階段をあがっていきます。
オリジナルではなくキャンプ場の階段ですね。
砲座Aに到着。石とレンガ造りの胸墻が残っています。
火砲据付部分にアーチ状の凸部があります。
凸部を上から。
見ての通り砲座内にはベンチが設けられていますので、床面がどうなっていたのか窺うことができません。
胸墻を正面から見ています。矢印の所にアーチ状の凸部が2つあります。
凸部が2つと言うことは1つの砲座に2門の火砲が置かれたことが分かります。経験則からこの形状の砲座は加農砲の砲座だと思われますが、ココ矢筈山堡塁にはこのタイプの砲座が4つ残っています。ただ、配備された九糎加農砲は4門なのになんで砲座が4つ?2つ多くね?(・_・;)アレ?
そんな疑問についてああだこうだ考えたいところですが、考察はすべての砲座を見終わった後に行うとします。
ちなみに胸墻の両側は破壊されています。写真は左側です。
矢筈山と似た作りの高蔵山堡塁の12㎝加農砲座と比べてみます。
高蔵山の砲座は矢印の所にもレンガと石造りの胸墻(横墻)が設けられていますので、矢筈山にも同様にあったのではないかと思われます。
そう考えると横墻の堆土がないと不自然ですので、先ほどの地形が削られたのではないかと言う疑問が出てくるわけです。
砲座Aを右横から見ています。
砲座の後方に地下砲側庫への階段がありますが、この位置にあるのはちょっと珍しいですね。
地下砲側庫(見取図で砲側庫①)はブロック塀が積まれて立入禁止となっています。
煉瓦積み穹窿コンクリート。よくある砲側庫のタイプです。
砲側庫上部に通気口が突き出ています。
ちょっと出過ぎじゃね?w
本来はもう少し高い位置まで土が盛られていたのではないかと思われます。
ここで「その2」はお終いとします。続きは次回。
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[参考資料]
「現代本邦築城史」第二部 第三巻 下関要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)
「明治期国土防衛史」(原剛著、錦正社)
「廃止予定堡塁補助建設物除籍の件」(Ref No.C03011691600 アジア歴史資料センター)
「工兵第3方面 矢筈山堡塁被覆壁変移の件」(Ref No.C03023066900 アジア歴史資料センター)