今日は舞鶴軍港東側に設けられた吉坂(きっさか)堡塁をレポートします。
右端に離れて位置しているのが吉坂堡塁となります。
堡塁の履歴です。
◆起工:明治33年(1900年)7月20日
◆竣工:明治35年(1902年)11月20日
◆備砲(本堡塁):克式十二糎加農砲 2門、十二糎加農砲 4門、九糎臼砲 6門
◆備砲(付属堡塁):十二糎加農砲 2門
◆備砲完了時期:明治35年(1902年)7月
◆設置標高:(本堡塁)240m、(付属堡塁)184m
◆廃止:大正8年(1919年)要塞整理にて兵備表より除去→昭和10年(1935年)全部除籍
舞鶴要塞の概略はこちらをご覧ください →→→
吉坂堡塁は明治期における舞鶴要塞の堡塁/砲台の中で最後に築城された堡塁でした。
内浦湾、高浜湾に上陸して舞鶴に侵攻してくる敵を撃退することが任務で、舞鶴に通ずる街道を制扼するように配置されました。
堡塁の場所は京都府舞鶴市と福井県高浜町の県境に位置する吉坂峠の東方にあり、舞鶴軍港から約8㎞ほど離れています。なお堡塁の施設は2か所に分けて設けられ、標高245mに本堡塁、その南の標高180mに付属堡塁が置かれました。おそらく本堡塁の射撃の死角をカバーするために付属堡塁が設けられたのでしょう。
こんな感じで配置されています。
本堡塁が僅かに京都府側に掛かっていますが、ほぼ福井県ですね。
さて、配備された火砲のうち“克式十二糎加農砲 2門”についてですが、先ほど書いた履歴では本堡塁に備砲されたと書きました。ただ、戦時中に陸軍築城本部が編纂した『本邦現代築城史』や戦後に発刊された『日本築城史』では、本堡塁ではなく付属堡塁に配備されたように書かれています。
要塞の二大バイブルがそう書いているのになぜ逆らってるの?って感じですが、現地を探索したところ、通常の十二糎加農砲とは明らかに異なる砲座が本堡塁に一つ設けられていましたので、これを“克式”の砲座だと推測したからです。
詳しくは砲座を紹介する時にまた説明することにします。
それでは現地に向かいます。
堡塁へのアクセスは、舞鶴から吉坂峠を越えてすぐの杉森神社から林道を辿って登っていくのが簡単ですが、神社入口に2本の杭が立っていて車で入れないため駐車スペースが確保できません。軽自動車ならギリ通れそうな感じでしたが、レンタカーで危ない橋は渡れませんので、別の場所に車を止めて神社に向かいました。
こちらが杉森神社ですが、矢印の所に要塞地帯標が埋設されています。
舞鶴要塞第一地帯標です。光の加減でちょっと見難いですね。
拝殿右側の道を進めば付属堡塁に、左側を進めば本堡塁に行けますが、まずは本堡塁に向かいますので左の林道を選択します。
道は荒れもなく勾配も緩いので楽に歩けます。
山頂付近で排水溝が現れました。神社から30分かからず到着です。
入口がありましたので堡塁に入っていきます。
それでは見取図を掲載します。現在は赤丸の所です。
横に長い施設配置ですので必然的に見取図も長くなります。小さくて見難いので拡大してご覧ください。なお書籍・史料を参考に施設名を記載していますが、間違いがあるかもしれませんのであしからず。
入るとすぐ右手に厠の基礎が残っています。
いつものように大便槽の区画が残っていないので残念(´・ω・`)
厠から道を挟んだ北側に弾廠の基礎が残っています。
一段下がった所に作られていますね。
弾廠基礎をヨリで。
ボルトが何本か残っています。
弾廠から出て、次は左手(西側)に行ってみます。
見取図から抜粋するとこっち側です。
階段があるので下ります。
振り返るとこんな感じ。
階段を下りると左手にこれまで見たことのない円形遺構があります。
どうやらこれが貯水所のようですが珍しい形をしていますね。
貯水所の北側に横長の兵舎基礎があります。2棟が縦に並んでいますが、写真は手前の1棟です。
奥の2棟目。
兵舎が2つ縦列している要塞砲台は数少ないですが、広島湾要塞早瀬第一堡塁は建物自体が2棟とも残っていて大変貴重です。写真の石造りの兵舎が2棟並んでいますが、ヤブがひどくて少々残念だったりします(・_・;)
内部はこんな感じ。
こちらは1棟ですが、状態良く残る広島湾要塞高烏堡塁の兵舎を掲載しておきます。
吉坂堡塁に同型の物があったかどうか定かではありませんので参考まで。
ついでに過去記事のリンクも貼っておきます。
広島湾要塞早瀬第一堡塁→→→
広島湾要塞高烏堡塁→→→
では探索に戻って、、、。
2棟目の兵舎の奥に厠がありますが、一段下がった所に配置されています。
厠です。奥に見える階段から下りてきました。
最初に見た厠と同様に大便槽が区分けされていません。もしかしたらココにある厠は、いつも見るデフォルト形ではないのかもしれませんね。
兵舎の平坦地に戻ると土塁に上がる階段がありました。
階段をあがると土塁の上は通路のようになっています。
写真右が谷側ですが、敵が谷を駆け上がってくるようなことがあれば、ココから射撃することになっていたのでしょう。って言うことでココはいわゆる射垜ですね。
こんな感じかな(^^;
では先に進みます。
貯水所の西側も平坦地が続いていますが、怪しい瓦礫が残っています。
史料では監守衛舎が置かれた場所と合致するので見取図ではそう書きました。
監守衛舎跡をヒキで。写真奥が来た方向となります。
監守衛舎跡から西に伸びる道をくだって行くと、下の方に平坦地が見えました。見取図では左上に書いています。
道を辿れば平坦地に行き着くと思われますが、面倒臭くなったのでやめましたw
以上、これにて「その1」はお終い。続きはまた明日。