防府市田島には航空自衛隊防府北基地が置かれていますが、この基地の前身は陸軍の防府飛行場でした。

 

まずは防府飛行場と駐屯した部隊について説明します。

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大東亜戦争開戦翌年の昭和17年(1942年)、陸軍は防府市南西部の中関地区に航空隊の飛行場を建設することを決定しました。土地の買収を行い、昭和18年(1943年)9月より工事が始まりましたが、地区民を始め中学生が動員され、突貫工事にて昭和19年(1944年)5月に完成しました。

 

飛行場完成に先立ち、昭和19年4月、飛行第51戦隊が小月で編成されます。配備された機体は新鋭の四式戦闘機「疾風」で、同隊は大阪で編成された第52戦隊とともに第16飛行団の指揮下に入りました。

防府飛行場完成に伴い6月に小月から移駐しましたが、その直後の6月16日、北九州の八幡製鉄所がB29による空襲を受けます。8月の空襲時には防府から迎撃に向かいましたが、9月に主力部隊がフィリピンに転進しましたので、留守部隊が引き続き関門地区の防衛に当たることになりました。

 

主力部隊は10月から11月にかけてフィリピン戦線で奮闘しましたが損害も大きく、11月下旬には内地への帰還命令が下り、12月から茨城県下舘にて戦力回復に努めることになりました。その後昭和20年(1945年)8月、南九州方面での特攻作戦掩護に向かうことになりましたが、移動中に終戦を迎えました。

 

なお主力転進後の防府飛行場は、三重県亀山の飛行第71戦隊の留守部隊が移駐したり、特攻隊の中継基地となり特攻訓練も行われたようです。

 

戦後の防府飛行場は英豪軍に接収され、返還後の昭和30年(1950年)に航空自衛隊の第一操縦学校が開校、昭和34年(1959年)に第12飛行教育団が編成され防府北基地として現在に至っています。また北基地内には、陸上自衛隊の第13飛行隊も駐屯しており、防府分屯地として使用しています。(1962年~現在)

さらに書くと、昭和38年(1963年)から民間機が就航(広島便)しましたが、搭乗率が低く1年ほどで廃止されました。

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以上が簡単な経歴ですが、終戦後まとめられた『防府飛行場航空軍需品並集積地一覧表』を見ると現況機数が書かれています。

 

◎修理可能な機体 25機

四式戦「疾風」 :9機

一式戦「隼」 :14機

双発練習機:1機

海軍練習機「白菊」:1機

◎修理不可能な機体 56機

疾風33機、隼9機ほか

 

主力部隊が不在の状況でしたので、実働機はほぼゼロだったのかもしれませんね。

ただ機銃弾や爆弾はソコソコの数が置かれていたようです。

 

戦後2年目、1947年の防府飛行場の空中写真を掲載します。

(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスUSA-M731-110を加工して掲載)

 

史料によると、南北(1500m×60m)と東西(1200m×100m)に滑走路を持っていましたが、舗装された南北が主滑走路だったようです。

 

ちなみに現在の航空自衛隊では東西が主滑走路となっています。

 

また、空中写真では南西側の田島山の裾野が削られたようになっていますので、弾薬や飛行機を秘匿した地下壕が掘られていたのかもしれません。

 

なお空中写真をよく見ると掩体壕と思われる影が点在しています。

掩体壕とは飛行機を空襲から守る格納庫で、屋根を持つコンクリート製の有蓋型、屋根はなく周囲に土塁を設けた無蓋型がありますが、写真では無蓋型が多く確認できます。

 

コの字の無蓋タイプです。

(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスUSA-M119-2を加工して掲載)

 

先ほど現存機数を紹介した『集積地一覧表』を見ると、掩体壕の中に爆弾を置いた箇所もあるようですので、飛行機だけを格納していたわけではなさそうです。

 

左の2つは有蓋型かな。右端の無蓋型には飛行機が2機入ってるようです。

1947年の写真ですので、英軍か豪軍の飛行機だと思われますが、、、。

(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスUSA-M119-2を加工して掲載)

 

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それでは現地を訪れますが、2022年6月に3年ぶりに防府北基地航空祭が開催されましたので、その際に撮った写真を載せていきます。

 

正門です。

 

門をくぐって左手の運動場に、飛行第五十一戦隊記念碑が立っています。

 

裏面には戦隊の経歴が彫られています。内容は冒頭で書いた説明とほぼ同じです。

 

側面です。記念碑は昭和50年に建てられました。

 

近くには慰霊之碑も置かれています。

 

なお基地内を歩いてみましたが、空中写真で見る陸軍時代と現在とでは建物の配置が随分変わっている印象を受けました。当時物っぽい怪しい建物はいくつかありましたが、確かではないのでここでの掲載は控えます。

 

航空学生顕彰館。旧軍に関する展示はありませんでした。

 

T-7のタッチアンドゴー。

 

起動飛行の最後に手を挙げて挨拶するパイロット。

 

天候不良で演目が5分で終わったブルーインパルス。

 

 

冒頭に書いた通り北基地には陸上自衛隊も駐屯していますので、陸自ヘリの展示飛行もありました。

 

それでは、登山で人気の右田ヶ岳山頂から防府市街地を見下ろしてお別れとします。矢印の所が防府北基地となります。

 

以上、陸軍防府飛行場でした。

 

場所はこちらをクリック→→→

 

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※2023年6月4日の航空祭の際、基地外周で陸軍境界標を見つけました。ブログに書きましたので合わせてご覧下さい。

 

 

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[参考文献]

「防府飛行場航空軍需品並集積地一覧表 昭和20年10月24日」(アジア歴史資料センター、Ref No.C15011098000)

「陸軍航空部隊略歴(その1)」(アジア歴史資料センター、Ref No.C12122419700)

「防府飛行場記録」(防衛研究所、陸空-本土周辺-120)

「防府市史 通史3」(防府市史編纂委員会、1998)

「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」