私の軍跡探索の中心は山の中や島嶼部にある砲台/見張所ですが、5月~9月は遺構が草木に覆われるため探索はシーズンオフとなりますので、この期間は「山口県の戦争遺跡」を紹介していきます。

なおこのカテゴリーで扱う戦争遺跡とは、山口県下に残る軍関係の施設(砲台/見張所は別カテゴリーで紹介)、忠魂碑を除く日清戦争以降の記念碑や銅像および関連物、記念館/博物館の展示物などが対象となります。

 

それでは昨年11月以来となる「山口県の戦争遺跡」カテゴリー再開の一発目は、萩市の椿八幡宮に奉納されている日本海海戦の絵馬を紹介します。

日本海海戦とは日露戦争において日本の勝利を決定的にした戦いですが、日露戦争の経過とともに説明します。

 

【日露戦争(日露戦役、明治三十七八年戦役)】

明治37年(1904年)2月から翌年9月にかけて行われたロシア帝国との戦争で、朝鮮半島と満州の権益を巡る争いが起因となり勃発。朝鮮半島に上陸した大日本帝国陸軍はロシア軍を撃破しつつ朝鮮半島から遼東半島に進撃。8月から開始された旅順攻囲戦では大きな損害を被りつつも翌年1月に陥落させた。

一方海軍の連合艦隊は、ロシア艦隊を旅順港に封鎖する作戦を展開するも十分な効果が得られなかったが、陸軍の旅順攻撃により湾内から出てきたロシア艦隊を撃破し、続いて開戦以降通商破壊戦を展開して頭を悩ませていたウラジオストク艦隊を潰滅に追い込んで日本海の制海権を手中にした。

翌明治38年(1905年)3月には18日間に及ぶ大規模な会戦となった奉天会戦において勝利、さらに5月の日本海海戦において、連合艦隊が圧倒的な力を見せつけてバルト海から7か月の航海を経てやってきたバルチック艦隊を壊滅させた。

その後アメリカを仲介役として和平交渉が進められた結果、9月のポーツマス条約締結によって講和が成立、戦争は終結した。

 

それでは日本海海戦について少しだけ詳しく...

 

明治38年5月27日早朝、バルチック艦隊を発見したとの報を受け、東郷平八郎大将指揮下の連合艦隊が出撃。

対馬沖にて敵と接触した旗艦三笠以下戦艦4隻、装甲巡洋艦8隻を中心とする主力艦隊は、敵前にて一斉に回頭(いわゆる東郷ターン)してロシア艦隊の進路を遮り、間合いを詰めて砲撃を開始した。両者激しい撃ち合いとなる中、日本側の命中率がロシア側を圧倒、敵主力艦は次々に炎上して戦闘能力を喪失し、開始30分で勝敗がほぼ決することになった。

その後はちりぢりとなって敗走する敵艦を追撃する形となり、翌28日までに10回の合戦を展開した結果、バルチック艦隊に壊滅的打撃を与えて海戦は終了した。

この2日間の戦いでバルチック艦隊は38隻のうち21隻沈没(自沈含む)、5隻を日本側に拿捕されたのに対し、連合艦隊の損害は水雷艇3隻沈没のみとなり、海戦史上稀に見る一方的勝利となった。

 

地図で簡単に示すとこんな感じです。

 

なお山口県北部に4つの地名を書きましたが、これらはバルチック艦隊のロシア兵が漂着した場所です。記念碑もしくは墓碑が建立されていますので、次回以降紹介していきます。

 

それでは日本海海戦の奉納絵馬を見に行きます。まずは萩市の遺構地図で椿八幡宮の位置を確認します。

 

椿八幡宮は萩市市街地の南部に位置しており、1243年に鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の分霊として祠を建立したのがはじまりとされています。

 

鳥居。

 

説明書き。

 

そして拝殿。

 

奉納絵馬は拝殿の中に飾られています。

 

絵馬の上部には題字があり『戦役紀念 日本海大海戦 明治三十八年五月廿七日午后二時』と書かれています。水兵帽前章(ペンネント)をあしらっていますね。

ちなみに午後2時は連合艦隊とバルチック艦隊が砲撃を開始した時間ですが、厳密には午後2時5分に敵前回頭開始、同8分バルチック艦隊砲撃開始、同10分旗艦三笠が砲撃を開始し各艦続く...と言った感じです。

絵馬の中央から右側に並ぶのが連合艦隊、左側がバルチック艦隊です。取り舵からの180度全艦回頭、装備する主砲副砲が有効に使えるように敵を側面に見て砲撃しています。いわゆる丁字戦法ですね。絵馬をよく見ると、先頭の旗艦三笠のマストが折れ、敵艦は火を吹いているのが分かります。

 

なおこの絵馬は、東城鉦太郎(とうじょうしょうたろう)画伯の描いた「日本海海戦之図」の複製だと思われます。日本海海戦の絵画で一番目にすることの多い三笠艦橋之図を描いたのも東城画伯です。

 

連合艦隊を拡大して表示します。

 

描かれている軍艦に番号を附してみました。艦名は以下の通りです。

 

第一戦隊

①戦艦三笠(東郷平八郎司令長官座上の旗艦)

②戦艦敷島

③戦艦富士

④戦艦朝日

⑤装甲巡洋艦春日

⑥装甲巡洋艦日新

第二戦隊

⑦装甲巡洋艦出雲

⑧装甲巡洋艦吾妻

⑨装甲巡洋艦常磐

⑩装甲巡洋艦八雲

⑪装甲巡洋艦浅間

⑫装甲巡洋艦磐手

 

上記12隻が交戦している主力艦で、隊列の横にいる2艦は各戦隊所属の通報艦です。

⑬通報艦龍田

⑭通報艦千早

 

以上で奉納絵馬の紹介はおしまいですが、これだけでは何なので、各地に残る日本海海戦に関連する遺構を列挙してみます。

 

横須賀にある記念館三笠と東郷平八郎の銅像。

 

前方より。

 

連合艦隊の旗艦を務めた三笠は廃艦後保存。大正15年(1926年)に記念館三笠となりましたが戦後に荒廃。昭和36年(1961年)に復元され今に至ります。

 

ついでに祖父が撮った昭和38年の三笠も載せておく(・∀・)

 

呉市の大和ミュージアム展示の三笠の主砲身。(企画展示なので今はないかも)

日露戦争時、呉海軍工廠で修理された際に取り外された物のようです。

 

福岡県福津市の東郷神社に保存の三笠の主砲身。

 

東郷神社に隣接した大峰山自然公園に建つ日本海海戦紀念碑。昭和9年建立。

 

海側から見ると三笠の艦橋を模した作りになっているのが分かります。

 

対馬東海岸の露兵漂着地に置かれているロシア装甲巡洋艦アドミラル・ナヒーモフの20㎝砲身。

日本海海戦にて撃破され自沈。乗組員がこの地に漂着しました。なお砲身は昭和55年に引き揚げられました。

 

以上、椿八幡宮の奉納絵馬でした。

 

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