大東亜戦争時、日本の鉄鋼生産の3割を担った八幡製鉄所を守るべく、製鉄所北部の若松半島には数多くの防空部隊が配置されましたが、弥勒山高射砲陣地(仮)もその一つだったと思われます。

 

地図で場所を確認します。

 

(仮)としているのは、ここに高射砲陣地を置いたことを示す史料を確認していないからです。ただ戦後すぐの空中写真には高射砲陣地と思しき影が写っており『福岡県の戦争遺跡』でも紹介されていますので現地探索を行った結果、大きな6つの円形窪地と小さな3つの窪地を確認しました。なお陣地から南東方向に歩くと、陸軍境界標石が複数埋設されています。

 

『福岡県の戦争遺跡』では本陣地について、「昭和16年(1941)9月から同17年(1942)5月の間に構築されたと思われる(昭和19年11月か)。1,709坪の広さがある。弥勒山頂上に高射砲座(直径 8m)が6基、指揮所1基の痕跡がある。また、付近で陸軍の指標杭を5つ確認できた。」と書かれています。

 

空中写真に写る弥勒山高射砲陣地(仮)

(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスUSA-R239-No3-72を加工)

 

探索で確認した遺構

 

では現地に向かいます。

若松半島には東の高塔山公園から西の頓田貯水池に隣接するグリーンパークまで、総延長12㎞の玄海遊歩道が設けられています。人気のハイキングコースですが、道沿いには当時の陣地跡を確認しながら歩くことができます。そして今回訪れる弥勒山(標高494m)は、この遊歩道の西側に位置しています。

 

当時の軍道と思われる道を遊歩道として使っています。

 

弥勒山手前までは空中写真に写るとおりに道筋が伸びていますが、山頂に上がるのは後世に設けられた道となります。

 

道沿いに転がる石柱を発見。

 

陸軍境界標石でした。なお石柱には“陸”の一文字だけでした。

 

これを上がると山頂ですが、この道は最右翼に築かれた砲座の土塁を潰して設けられています。

 

最右翼の砲座の内部。円形に窪んでいます。

 

例のごとく写真で窪みを確認するのは難しいので(^^;、掲載はあと2枚だけにします。

 

右から3番目の砲座。山頂側に向けて出入口が開いています。

 

最左翼の砲座。矢印の箇所に凸部がありますが、他の砲座にもそれぞれ1ヵ所の凸部を確認しました。

 

山頂はきれいな平坦地となっています。

 

陣地跡はこれくらいにして、陸軍境界標石を辿ってみます。7本確認しましたが、その内3本を掲載します。

 

1本目。

 

2本目。頭頂部にはM。

 

3本目。

 

標石はなんとなく道筋が付いた所に埋設されていますので元々軍道があったのではないかと思われます。

 

そして最後は下関要塞第一地帯標 第6号です。

 

第六號

 

明治三十二年九月一日

 

明治32年(1899年)7月15日に制定された『要塞地帯法』によってこの周辺は下関要塞地帯となりました。当時、近くに堡塁建設予定地がありましたので、周囲は第一区(第一地帯)と指定されていました。

 

以上、弥勒山高射砲陣地(仮)でした。

 

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[参考資料]

「戦史叢書019巻 本土防空作戦」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「戦史叢書057巻 本土決戦準備<2>九州の防衛」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「第56軍国土決戦史資料 昭20.11」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「高射第4師団配備要図」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「北九州高射砲隊配備要図」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「高射砲陣地築設要領」(Ref No.A03032195600 アジア歴史資料センター)

「高射戦史」(下志津(高射学校)修親会)

「地図・空中写真閲覧サービス」(国土地理院)

「福岡県の戦争遺跡」(福岡県教育委員会)