佐世保市の俵ヶ浦地区には砲台/堡塁をはじめ要塞関連施設が数多く置かれました。
白の点線で囲った部分が俵ヶ浦地区です。
施設の配置を示します。
現地の看板にも書かれていますのでわざわざ作る必要はないのですが(^^;
3つの堡塁/砲台は既にレポート済ですので、今回は馬川兵舎を紹介します。
兵舎の説明については現地案内看板に書いてある通りです。
有事における兵員の生活施設として構築されました。看板には明治34年頃と書かれていますが、『現代本邦築城史』には明治35年(1902年)12月5日竣工となっています。
砲台/堡塁が廃止後もこの地は演習用地となったので兵舎は残置され、大東亜戦争終戦まで使われました。
案内看板にある兵舎敷地図に若干書き加えました。なお建物は残っていませんが、見取図の場所に基礎などを確認することができます。
では遺構を見ていきます。まずは案内看板の場所から全景です。
柵門から入場します。
状態よく立っており、金具も残っています。
敷地図に追記しましたが柵門右手に階段があります。
下りると平坦地になっていますが藪っています。井戸が1つありました。階段も井戸も遺構っぽいですが確かではありません。
入場すると正面にレンガ積みの建物基礎。これが将校室の遺構です。
藪っていて見難いですが、将校室の後方には厠があります。
突き出ている所が小便槽、その右に大便槽が2つあります。
敷地を逆時計回りで歩いていきます。
次は現役で使われている井戸ですが、当時物ではないかな。
配置図の烹炊所の場所にある遺構です。
上部に丸い穴、下部に焚口と思われる穴。かまどの跡かなと思いましたがこれ1つだけですし高さがありますので、おそらくかまどではなく風呂かと思われます。
レンガ遺構のそばに鉄製の物体が鎮座していますがこれは五右衛門風呂の釜で、レンガ遺構上部の丸い穴に入っていたのではないかと推測しています。
これまでも同じ物を他地域の旧軍施設で見かけました。
井戸が埋もれています。
斜面に排水路が設けられています。
兵舎Aです。レンガ積み基礎に石と瓶が陳列されていますw
基礎はレンガ、床面はコンクリートの横長の建物ですが、史料の履歴では桁行約36m×梁間約5mとなっています。
兵舎に使われていた瓦でしょうか。
烹炊所のそばにあった井戸と同じ物が兵舎脇にもあります。
2つの兵舎の間に厠があります。
将校用の厠も藪っていましたが、兵員用も同様です。
小便槽。
大便槽は6つあります。
厠の脇から兵舎Aを見ています。
そして右を向くと兵舎Bです。
床面にレンガの囲いが見られます。柱の束かな。
柵門側から見ています。
では最後に井戸を見てお別れとします。
以上、馬川兵舎でした。
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[参考文献]
「現代本邦築城史」第二部 第七巻 佐世保要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)