見取図です。
棲息施設から階段を下りて行くとコンクリート構造物が現れます。
構造物に上がると、、、絶景キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
ちなみにコンクリート構造物はコレ。
当時の遺構ではなく戦後物です。この上には灯台守の宿泊所が置かれていましたが、今ではその建物も残っていません。
なお、この場所に防備衛所の核となる衛所(聴音所)があったと推測しています。
根拠としては、
①対馬警備隊の『引渡目録』掲載の略図で灯台後方に書かれていること
②これまで見てきた防備衛所の配置スタイルから
③海面通視が良好なこと
と言ったところでしょうか。
衛所があったと思われる場所を前方から。石垣が組まれています。
この石垣から右側に行くと、明治期の海軍望楼があります。
明治27年(1894年)6月、海軍は日清戦争開戦直前に「海軍望楼条例」を発布、海上の見張や気象観測を目的として全国各地に望楼を設置しました。対馬には北端の韓崎(からさき)と南端のココ神崎(かんざき)の2ヶ所に置かれましたが、その望楼を120年以上経った今でも見ることができるなんて胸熱です(・∀・)
後方より。大きな破損もなく良い状態です。
内部。色々詰め込まれていますが状態よしです。
全国に置かれた海軍望楼は日露戦争後から大正期にかけて廃止されましたが、昭和期になって望楼の場所に防備衛所や見張所が進出してきた例は複数あります。ココ神崎もその一つとなりますね。
なお、海軍望楼については別カテゴリーであらためて書くつもりですので今回は簡単に紹介するに留めます。
では灯台に下りてみます。
神崎灯台。平成2年に改築されていますが、明治27年9月初点灯と歴史があります。望楼と一緒に建てられた感じですね。
灯台から振り返ってみると、、、石柱が立てかけられています。
対馬要塞第一区地帯標でした(・∀・)
左右の側面には、「大正十三年七月三日」 「第一號」とあります。
前編にも載せた登山道沿いにあった地帯標は第二號でしたので、同一地帯を囲っていた標石と思われます。ただ、こちらは達筆なのに第二號の貧弱ぶりときたら(^^;
敢えて再掲載しますw
灯台の先は断崖絶壁ですが、階段が設置されています。
船で上陸するならこの階段を使うことになりますが、上がるのも下りるのもなかなかスリリングです。
階段から西側を見ています。
小さな岩の上に人影がw(゜o゜)w 釣り人恐るべし!
そして釣り人よりも気になったのが赤矢印の部分。石垣が見えましたのでアップにしてみます。
石垣の下に方形のコンクリート構造物も見えます。これは行ってみないと!
と言うことで石垣の上に着地(・∀・)
石垣の上はソコソコ広めの平坦地ですが、用途不明の構造物がたくさんあります。
まず1つ目は八角形の構造物。
ボルトの跡や4つの四角い凹みが確認できます。
2つ目は八角形構造物の隣にあるコレ。
アンカーボルトが3本残っています。何かの機器を設置していたのでしょうか。
そして3つ目は先端にあるコレ。
砂利ではなくコンクリートで固められています。そして穴が4つ開いてます。
上から見下ろすとこんな感じ。
そして見下ろしているココにも金具付きコンクリート構造物が。これが不明の4つ目。
最後の5つ目は石垣下の方形コンクリート構造物。2つあります。
さて、これらは一体何者!?何が置かれていた場所なのでしょうか?
八角形構造物は電探の設置台座に似ている感じもしますが定かではなく。現段階では見当がつきませんので、見取図では全部まとめて不明遺構としました。ぼちぼち調べてみることにします(^^;
以上、すべての遺構の紹介が終わりましたので、これにて神崎防備衛所のレポートはおしまいです。
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[参考資料]
「昭和20年9月30日 引渡目録 対馬警備隊」(Ref No.C08011397300~C08011400800、アジア歴史資料センター)
「引渡目録 訂正表」(Ref No.C08011051500、アジア歴史資料センター)