見取図です。

 

排水溝を跨いで右手の道を下りていくとコンクリート遺構が現れました。これが「第三砲台低観測所」の入口です。

埋もれていますが、左手の壁の下に他の観測所と同様に凹みがあります。

 

コレです。

 

観測所の内部です。

観測所内壁に凹みが2つあります。

 

上から見下ろしています。

 

観測所の斜め前に水準器を置いた円柱があります。

 

観測所内部には御影石の角柱が1本だけ立っています。

 

これは応式測遠機の台座で、本来なら3本立っていたと思われます。参考に他の観測所の写真を掲載します。

 

イラストで示すとこんな測遠機が乗っていました。左側です。

4つある低観測所のうちここだけに応式測遠機が置かれていたと見られます。

 

さて、4つの低観測所はそれぞれどの砲台に付属するものなのかははっきりしません。見取図では推測で書きましたが、この第三砲台低観測所についてはある程度の根拠を持っています。

それは『アジア歴史資料センター』に残る「弧形板備付の件」に書かれている内容から判断しました。これは明治39年5月に武式測遠機の弧形板を設置したい旨依頼する下関要塞側からの文書ですが、その中にこう書かれています。

 

「火ノ山第三砲台低観測所用として武式測遠機を備え付けることになったけれども、低観測所の視界は180度に対して砲側観測所は360度全周を見通せるので、低観測所には応式測遠機を砲側観測所には武式測遠機を備えた方が便利と思われる」(要約して抜粋)

 

つまり、これに沿って応式測遠機が低観測所に配備されたのなら、角柱が1本立っているこの観測所が第三砲台付属のものであると言うことになるわけです。

 

 

では4つ目の観測所に向かいます。

先ほど下ってきた軍道を戻って東に進むとすぐ道が途切れますが、再び道が現れたところに「第四砲台低観測所」があります。

 

観測所の入口です。

 

入口手前の両側に階段があります。これは右側です。

 

2段ほど上がって観測所の内部です。

武式測遠機の円柱台座が中央にあります。内壁の凹みは2つですね。

 

ここには御影石の平たい丸い石がありません。

平たい丸い石は円柱にも乗っかってもいませんし周囲にも落ちていません。

第一砲台の低観測所では落ちていた、第二砲台では乗っかっていた、第四砲台では紛失、、、なんすかね(^^;

 

観測所を斜め前から。

見ての通り、観測所外周のコンクリートはドーナツ型ですね。4つ観測所すべてが形が違って面白い。みんなちがって、みんないい(笑)

4つの観測所のうちここだけが藪っていないので非常に見やすいです♪

 

なので真上からもキレイに撮れます(・∀・)

 

観測所後方の道も見下せます。

 

一つ紹介し忘れていました。上の写真の凹みの左上に円柱が立っていますが、近くで見るとコレです。

これまで見た2本の円柱と同様に水準器台と思われますが、なぜこんな斜面にあるんでしょうね(・。・;

 

以上で4つの観測所のレポートは終わりですが、谷側(観測所の前面)に「陸軍境界標石」が一定間隔で埋設されていますので紹介しておきます。

 

第三砲台低観測所直下にある頭頂部に35と刻まれた陸防。

 

第一砲台低観測所の前方両翼にある2つの陸防。そのうちの一つ。

 

裏面には「防三七」。

右隣の石柱には鈴木と彫られています。鈴木さんの土地だと示しているのかな。

 

以上、火ノ山砲台低観測所でした。

 

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[参考資料]

「現代本邦築城史」第二部 第三巻 下関要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「下関重砲兵連隊史」(下関重砲兵連隊史刊行会)

「下関要塞総合図の内 彩色平面図 火ノ山砲台」(防衛大学校総合情報図書館蔵)

「国土地理院地図・空中写真閲覧サービス」

「弧形板備付の件」(Ref.No.C07072111100, アジア歴史資料センター)

「竣工図書進達の件」(Ref.No.C02030469700, アジア歴史資料センター)