7回に亘ってお送りした生石山砲台群もこれで最後となります。

今回は第四砲台東方谷地に置かれた「生石山電燈」をレポートします。

 

電燈とは夜間に敵艦探知を行う射光機(探照灯)のことです。この射光機が1基と電源供給を行う発電所(電燈機関舎)がセットとなった電燈所が要塞域内の要所に配備されました。由良要塞では、由良地区、友ヶ島地区、深山地区にそれぞれ1つずつ置かれていました。

 

電燈所の履歴です。

◆起工:明治31年(1898年)11月1日

◆竣工:明治33年(1900年)3月31日

◆射光機1基:徑九十糎「シュッケルト」→昭和5年度(1930年)に「スペリー」式に改造

*シュッケルトはドイツの会社、スペリーはアメリカの会社です

◆電燈機関舎1基:昭和5年度(1930年)に石炭火力からディーゼル機関に改める

 

「生石山電燈」の見取図を掲載します。

生石公園に上がる道路沿いにあります。目を凝らすと、レンガ積みの何かがあるのが分かるかと思います。

 

では早速、発電所(電燈機関舎)を正面左側から。

 

今度は右側から。

 

御覧の通りGHQによる爆破で壊されてしまっていますが、本来ならこのような建物だったと思われます。

 

写真は今治市小島にある芸予要塞の発電所です。屋根など部分的に修復されていますが状態よく残っています。なお建物後方に突き出ているのは煙突ですが、生石山の発電所は壊されてしまっています。

 

こちらは北九州市の下関要塞田向山砲台の発電所です。建物の後ろに煙突が配置されているのが分かりますね。

 

田向山の発電所の説明看板から抜粋した見取図です。たぶん生石山の発電所もこの形だったと思われます。

 

生石山発電所の向かって左側の部屋。上の見取図だと雑具庫・石炭庫の所です。

 

正面は、、、2部屋に分かれていたはずですがこんな有り様です(・。・;

 

材料庫入口の木製の庇。かろうじて残っています。

 

発電所を右後方より。

 

煙突が立っていた場所に大きなコンクリートの塊がゴロゴロ転がっています。発電所の後方は斜面になっていますが、どうやら上から転がってきた物のようです。

 

斜面に残るコンクリートの残骸。なお、上にあがると道路です。

 

斜面から発電所を見下ろしています。

 

このコンクリートの残骸ですが、たぶん射光機が置かれた照明座の物だったと推察します。他の砲台でよく見られるような昇降型だったか、それとも固定型だったかは定かではありません。

 

昇降型ならこんな感じ。(大久野島の電燈所説明看板より抜粋)

ちなみに後日紹介する友ヶ島電燈はこの形でした。

 

続いて、発電所に付属する貯水施設を見ていきます。

 

円形の貯水槽が置かれた建屋跡。

 

円形水槽の先から見下ろすと大きな貯水池があります。

 

貯水池を前方より見ています。

奥に見えるのは発電所。石垣の壁沿いにアーチ状の入口を持つ何かがあります。

 

入口はレンガで埋められているようですが、ポンプ施設でもあったのかな?

 

以上、生石山電燈でした。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第四巻 由良要塞築城史(陸軍築城部、国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用