萩市東北部の大井八幡宮に残る征清紀念碑を見ていきます。

なおこちらの神社には日露戦役紀念碑もあるのですが、今回見逃してしまいました(>_<) あらためて訪問したいと思います。

 

萩市の遺構地図です。

 

階段を上がって鳥居。参道が長いです。

 

阿武巌夫(あんの いずお)選手生誕地の看板があります。

 

阿武巌夫さんは、昭和7年(1932年)のロサンゼルスオリンピックに出場した陸上選手。山口県出身で初めて五輪に出場し、4×100mリレーで5位入賞を果たしました。厳夫さんはココ大井の出、と言うか大井八幡宮の宮司の長男さんとして生まれたそうです。昭和14年(1939年)、陸軍の兵士として中国で戦死。生家跡の一角にある阿部家墓地に永眠しています。

 

参道には忠魂碑が立っています。

 

揮毫者は粟屋幹陸軍少将。明治34年(1901年)から1年間、山口歩兵第42連隊の連隊長を務めた方です。なお、先ほどの阿武巌夫さんは同連隊に召集され出征しました。

 

拝殿に到着です。

 

拝殿左側に征清紀念碑が立っています。

 

正面から。

 

台石正面には日清戦争の従軍者、側面には戦死者の芳名が刻まれています。

 

【日清戦争(日清戦役、明治二十七八年戦役)】

明治27年(1894年)7月から翌年4月にかけて行われた清国との戦争で、朝鮮半島の権益を巡る争いが起因となり勃発。開戦後9月に平壌を占領した大日本帝国陸軍は朝鮮半島を北上して清国領土に侵入、11月に遼東半島の旅順要塞を攻略した。

一方海軍の連合艦隊は、9月の黄海海戦にて清国の北洋艦隊を撃破して黄海の制海権を掌握、翌年には山東半島や台湾方面にも戦域が拡大したが、講和を模索する動きとなり、下関での両国交渉の結果、4月17日に日清講和条約(下関条約)が締結されて休戦となった。

なお講和条約に織り込まれた遼東半島の日本への割譲は、いわゆる三国干渉にてフランス、ロシア、ドイツから勧告を受けたため、日本は遼東半島の領有権を放棄、清国に返還された。

 

以上、大井八幡宮の征清紀念碑でした。

 

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