今日は田中義一銅像誕生地を紹介します。

 

まずは萩市の遺構地図を掲載します。

 

田中義一銅像は、萩市博物館東側の素水園に立っています。

台座正面には題字の銅板。「田中大将像」とあります。

 

高い位置にありますので、見やすいように銅像だけを拡大してみます。

 

台座3面に銅板が掲げられており、義一さんの経歴などが記されています。背面の銅板には昭和6年(1931年)と記されていますが、左右側面は戦後に付けられた物と思われます。

 

背面の銅板です。

 

長いので訳しませんが(笑)、「田中大将像」の題字を書いたのは政治家の久原房之助さん。同じ萩市出身で親交が深く、田中内閣では逓信大臣として入閣しました。

撰文したのは大庭二郎陸軍大将。山口県出身で同い年。陸軍士官学校や陸軍大学校では同期でした。

 

そしてこの銅板の下に刻まれているのはコレ。

 

枠内に「原型鋳造」、そして枠外に「再建像原型作者」の文字が刻まれています。つまり、今立っている銅像は再建されたものとなります。


最初に建てられたのは、背面の銅板にある昭和6年。翌昭和7年に除幕式が行われましたが、その写真が昨日紹介した旧田中別邸に展示されています。

 

この写真に小さく写る銅像をよ~く見てみると、手に帽子を持って軍服を着ているように見えます。つまり今の銅像とは異なるものだったようですね。

題字に「田中大将像」とあるのに平服の銅像であることに違和感を感じましたが、当初は軍服姿だったとなれば納得です。

 

おそらく最初の銅像は戦時中の金属供出か敗戦後にGHQの命令によって撤去され、その後再建されたのでしょう。左側面の銅板には昭和38年とありますので、その年だったのではないかと。

建設年について言及した記事を見つけることができなかったので推察してみました。確認できれば書き足すか書き直すかしたいと思います。

 

次に、義一さんの誕生地を紹介します。

萩市街地の南古萩町、通称「菊屋横丁」と呼ばれる通りに誕生地の石碑が置かれています。

 

菊屋横丁。白壁が美しいですね(・∀・)

 

誕生地は道沿いにありますが奥まった場所にあるので見逃しそう。しかも中に入れないみたいです(・。・;

 

近づいてみて、ようやく石碑があるのに気づきます(^^;

 

田中義一閣下誕生地の石碑です。

 

石碑を近くで見れませんが、題字の横に河内信彦書とあります。ご当地出身の陸軍中将だったお方のようですが、義一さんとの関係はよく分かりません。

 

説明看板によると、ココで生まれて3歳の時に転居したとのこと。転居先の場所に石碑が立っていますが、これについては前回紹介しました。

 

ちなみに、このすぐ近くに高杉晋作の誕生地もあり、こちらは生家が残っています。

 

以上、田中義一銅像と誕生地でした。

 

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