今日は「山口県の戦争遺跡」をお休みして、3月以来となる「北九州の防空」カテゴリーの遺構を紹介します。
本カテゴリーは大東亜戦争時の北九州・関門地区に配備された高射砲ならびに照空陣地を取り上げていますが、詳しくは下記リンクをご覧ください。
【笹尾照空分隊陣地】は、小倉北区と門司区の境界に位置する開善寺山(標高336m)の山頂に設置されました。
なお本陣地が位置する山の西側の麓には、当時の弾薬庫を転用した陸上自衛隊富野分屯地が置かれています。
広域地図で場所を示します。
笹尾照空陣地は、荒田に本部が置かれた高射第132連隊第18照空中隊の展開地域内にありますので、同中隊所属の分隊陣地だったと思われます。
1948年の空撮です。
見取り図を作成しました。
照空陣地の主要装備は、敵機襲来を音で捉える空中聴音機と、上空を照射する照空灯(サーチライト)の2つとなりますが、それらが置かれたと思われる円形の掩体(窪地)が残っています。
北から山に登ると、山頂直下の斜面に掘り込まれた窪地が現れます。
そしてこの上の平坦地に円形窪地がありますが、ココに空中聴音機が設置されたと推測しています。
なかなか写真では伝わり難いですが、大きく窪んでいます。
中に入るとこれくらいの深さです。
他にも周囲には人為的に掘られた小さな窪地がいくつかありますが、それらの写真は割愛してさらに南に進むと、縦に長く掘られた窪地が現れます。
まっすぐ伸びているのが分かるかと思います。
長い窪地に入って進むと、20mくらい先で行き止まります。
行き止まった部分を上から見ています。
この窪地ですが、照空灯の格納庫および通路と推測しています。平時にはここに照空灯を格納しておき、使用時にゴロゴロと転がして移動させ、この後に紹介する照明灯座に引き上げていたのではないかと考えています。
なお同様のスタイルは筋山照空陣地でも見ることができます。
照明灯を配置した照明灯座は円形土塁で囲まれています。その入口です。
土が盛り上がっている部分が土塁、真ん中が入口です。
少しヨリで。
土塁右脇に陸軍境界標石が埋設されています。
標石の裏側には“防一四”とあります。これを起点として北に進むにつれて標石が並んでいますが、その番号は130番台ですので、この標石の番号は140番台であると思われます。もう少し掘れば正しい番号が判明したんですけどね(^^;
土塁で囲われた内部です。
先に進むと草が伸びてわちゃわちゃになっています(・。・;
右に写るのは自衛隊のアンテナです。
これですね。
この場所からの景色です。
向こうの山を眺めると斜面に線が入っているように見えますが、これは山火事の際に延焼を防ぐ防火帯です。自衛隊敷地を囲むように設けられており、今いるこの場所も防火帯の外縁部となります。
草が枯れる冬場には茶色の線として綺麗に見えるでしょうね。
ちなみに1948年に米軍が撮影した空中写真を見ると、防火帯は当時からあったようですね。
なお防火帯より中は自衛隊敷地となりますので立ち入り禁止です。それを示すかのように円形土塁の上に防衛庁の境界標石が埋設されています。
土塁の下、防火帯の脇にコンクリート杭と陸軍境界標石が埋設されています。
コンクリート杭は侵入防止柵(鉄条網?)を張っていた名残でしょうか。
なお陸軍境界標石の裏側は先ほどと同じ“防一四・・・”でした。
以上で山頂の遺構はおしまいですので、円形土塁から南に斜面を下ると、広めの道筋がついた平坦地に降り立ちます。
写真の奥の方は防火帯ですが、その手前に自衛隊敷地につき立入禁止の看板と柵が設けられています。
そしてこの場所にはコンクリートやレンガでできた構造物の瓦礫が転がっています。
洗面台のようにも見えますが排水桝かもしれません。
多分この瓦礫が散乱する場所に兵舎が設けられていたのではないでしょうか。
以上、笹尾照空分隊陣地でした。
==========================
[参考資料]
「戦史叢書019巻 本土防空作戦」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「戦史叢書057巻 本土決戦準備<2>九州の防衛」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「第56軍国土決戦史資料 昭20.11」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「高射第4師団配備要図」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「北九州高射砲隊配備要図」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「高射砲陣地築設要領」(Ref No.A03032195600 アジア歴史資料センター) 「高射戦史」(下志津(高射学校)修親会) 「地図・空中写真閲覧サービス」(国土地理院) |