今回は高塔山周辺の防空陣地を見ていきます。

 

場所は下記リンクにて。

 

 

高塔山は若松区東部に位置する標高122mの山です。戦後は公園として整備されましたので訪れる人が非常に多いスポットとなっていますが、戦時中はこの周辺に防空陣地が築かれていました。

 

推測される陣地の場所をマークしてみました。

 

高塔山には西部高射砲集団(のち高射第四師団)の高射砲第131連隊の司令部が置かれており、8㎝高射砲6門を有する第2中隊と、7㎝高射砲6門を有する第3中隊、さらには照空部隊も駐屯していました。

なお終戦時の態勢は、8㎝高射砲(高塔東高射砲陣地)のみの配備で7㎝高射砲はなくなっていますが、これは昭和20年5月に高射第4師団として改編された際に師団主力の南九州転出に伴って7㎝高射砲中隊は配置転換されたものと考えられます。

戦後米軍が撮影した空中写真を見ると、131mピークとその北東に砲座群を写っています。史料では「高塔東 八高 六」と書かれていますので、東側に写っている砲座群が8㎝高射砲、西側が7㎝高射砲だと仮置しました。

また高塔山の山頂と西側にある201mピークにもなんらかの施設が写っていますが、それぞれ地図にマークした施設群であったと推測しました。

 

1948年の空撮です。

 

高射砲陣地の場所を拡大。

 

*********************

さて気になる遺構の残り具合ですが、、、

 

高塔山の山頂は公園化されているため遺構は消滅。

 

高射砲陣地のあった場所も仏舎利塔と公園建設により消滅。

 

さらに連隊司令部のあった場所は携帯中継局と私有地化により消滅、、、

 

って、何も残ってねぇじゃん(笑)

明確に残る遺構はありませんが、連隊司令部が置かれたと推測する201mピーク(山ノ堂山)の周辺に僅かながらに痕跡が残っています。

 

まずは水槽です。

 

コンクリートの残骸。

 

円形のコンクリート構造物。もしかして機銃座?と思ったら高まります。

 

遊歩道沿いに転がる陸軍境界石

 

痕跡は以上です。

実際山の中に入れば何かしら残っているかもしれませんが、公園や遊歩道を外れると周りは私有地で立入禁止の札も多いので探索するわけにはいきません。

 

最後に、高塔山からの景色を掲載します。

もやっていますが、若戸大橋とその先は小倉市街地。

 

響灘に面する埋立地方面。

 

左は皿倉山、洞海湾を挟んで八幡製鉄所があった辺り。

 

以上、高塔山高射砲陣地でした。

 

==========================

[参考資料]

「戦史叢書019巻 本土防空作戦」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「戦史叢書057巻 本土決戦準備<2>九州の防衛」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「第56軍国土決戦史資料 昭20.11」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「高射第4師団配備要図」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「北九州高射砲隊配備要図」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「高射砲陣地築設要領」(Ref No.A03032195600 アジア歴史資料センター)

「高射戦史」(下志津(高射学校)修親会)

「福岡県の戦争遺跡」(福岡県教育委員会)

「地図・空中写真閲覧サービス」(国土地理院)