鷲峯山(わしみねさん)は、小倉北区/南区の境に位置する標高136mの山ですが、山頂尾根上に高射砲陣地が設置されていました。

 

場所は下記リンクを参照してください。

 

=================

昭和19年(1944年)9月頃の西部高射砲集団の編成表では、「鷲峯山高射砲陣地」に高射砲第132連隊 第1大隊の2個中隊が駐屯しており、第2中隊の7㎝高射砲6門、第4中隊の8㎝高射砲6門、計12門が上空に睨みを利かせていました。またここには大隊本部も置かれていたようです。なお陣地の後方には山田弾薬庫が位置しています。

 

昭和20年5月に高射第4師団として改編されて以降の編成では七糎高射砲のみの配備となっていますが、改編と同時に行われた師団主力の南九州転出に伴い、八糎高射砲中隊は配置転換されたものと考えられます。

 

鷲峯山陣地の配置を推測して記載しました。

 

戦後の1948年の空中写真ではこんな感じで写っています。

 

=====================

2か所の高射砲群の現況ですが、七高の場所は公園化され観音像が立てられており、八高の方も戦後に整地されたようですので、砲座周辺の遺構はすべて消滅しています。

僅かながら痕跡を留めるのは「棲息施設」にある「水槽」と、「戦闘指揮所」の掩体、掘り込み、天水桶などとなります。

 

公園化された7㎝高射砲群の場所。

 

8㎝高射砲群の場所。何もありません。

 

「水槽」はこちら。

 

内部です。

 

では「戦闘指揮所」を見ていきます。まずは見取図です。

コンクリート製の天水桶以外は、穴と石しかないんですけどね(^^;

 

棲息施設から南に下ると「平坦地」があります。

掘開して平坦にしたようでなかなか広い空間です。なんらかの建物があったと思われますが、建物基礎などは確認することができませんでした。

 

「平坦地」の南側の"小高い丘"に円形掩体や方形掘り込み箇所があります。

 

まずは「方形掘り込み」です。

結構深く掘られており長方形となっています。

 

西側の面にだけ石垣が組まれています。

 

「方形掘り込み」北側の出入口から上がって見ています。

左は棲息施設と繋がる道、右下に「平坦地」が見えます。

 

小高い丘の西側の道沿いに「天水桶」があります。

 

もう一つは、道から一段下がった場所にあります。

2つとも同型同サイズのようです。

 

"小高い丘"に上がって「円形掩体」を見ていきます。

ここから上がります。

 

上がるとこんな感じ。交通路が設けられて各掩体に繋がっています。

 

見取図だと一番下の「円形掩体」です。

 

二番目の掩体方面への交通路にある石積み。

 

見取図での1番上と2番目の円形掩体が並んでいます。

写真ではよく分かりませんね(^^;

現地ではちゃんと窪んだ掩体で形を確認できるのに写真ではなかなかそれが伝わらない、、、あるあるですねw

 

遺構はこれでおしまいですが、最後に山頂からの景色を何枚か掲載します。

 

足立山方面。

 

小倉市街地方面。関門海峡、そして関門橋も奥に見えます。

 

遊歩道(元軍道)から見える小倉競馬場。

 

山頂の公園内には、野戦重砲兵第20連隊(満州第928部隊)の慰霊供養記碑が立てられています。

 

 

以上、鷲峯山高射砲陣地でした。

 

==========================

[参考資料]

「戦史叢書019巻 本土防空作戦」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「戦史叢書057巻 本土決戦準備<2>九州の防衛」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「第56軍国土決戦史資料 昭20.11」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「高射第4師団配備要図」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「北九州高射砲隊配備要図」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「高射砲陣地築設要領」(Ref No.A03032195600 アジア歴史資料センター)

「高射戦史」(下志津(高射学校)修親会)

「福岡県の戦争遺跡」(福岡県教育委員会)

「地図・空中写真閲覧サービス」(国土地理院)