大日本帝国の勝利で終わった日清戦争(明治27~28年,1894-95)の結果、朝鮮半島と本土の間に位置する対馬の重要性はこれまで以上に増してきました。

そこで対馬防衛の見直しが検討されることになり、明治29年(1896)に「對馬第2期防御計画」が策定されることになりました。

 

計画の骨子は浅茅湾(あそうわん、浅海湾とも)の防御の拡張と、新たに三浦湾の防御を担う砲台の構築にありましたが、特に浅茅湾においては明治29年4月に湾内の竹敷港に海軍の要港部が設置されたこともあり、より強固な防御ラインを築く必要が出てきました。そこで新たな堡塁砲台の選定が協議された結果、明治31年(1898)1月に「對馬第2期防御計画」は裁可を受け、同年8月に四十八谷砲台の工事が始まりました。

 

明治35年の根緒堡塁竣工で計画していた堡塁砲台の建設が終了しましたが、明治37年(1904)に日露戦争が勃発したため、浅茅湾口に急きょ砲台が建設されることになりました。湾口の3砲台は戦後の竣工となりましたが、明治31年(1898)から明治39年(1906)までの8年間で11個の堡塁砲台が築城されました。

 

対馬全域の地図で堡塁砲台の場所を示します。

 

青字が第2期築城における新たな砲台です。上記地図では12個書かれていますが、そのうち「根緒堡塁(武隈山堡塁)」は、根緒堡塁の付属施設なので1つの堡塁と見ていますので、堡塁砲台の数は11か所としました。

また、明治20年に構築された温江砲台と大石浦砲台は、四十八谷砲台の設置によって不要と判断されたため廃止されることになりました。

 

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防御地区毎に見てみます。まずは浅茅湾防御です。

 

浅茅湾内を射撃する二十八糎榴弾砲台が3つ、布設水雷防御の側防砲台が2つ、敵上陸兵に対する付属砲台が1つ置かれました。

湾口には日露戦争の勃発により急きょ建設が開始された砲台が3つありますが、当初は湾口北部の廻地区にも建設する計画でした。ところが建設予算に窮したため、湾口南部だけにとどまりました。

 

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次に、三浦湾、鶏知地区の防御です。

 

三浦湾防御には陸軍2砲台と海軍の布設水雷や急造砲台が建設されて日露戦争に臨みました。なお鶏知地区の防御は敵の上陸に備えて陸戦対応の堡塁が築かれました。

なお鶏知地区には対馬警備隊司令部と砲兵大隊の衛戍地がありました。ちなみに対馬警備隊司令部は大正9年(1920)8月に対馬要塞司令部に改編されました。

 

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では、第2次築城期における11個の砲台について、簡単に履歴を書いておきます。

 

⑤四十八谷砲台(しじゅうやたに)

・起工:明治31年8月15日

・竣工:明治33年3月31日

・備砲:28㎝榴弾砲 6門

・廃止:大正2年4月・廃止決定→昭和9年8月・全部除籍

 

⑥大平高砲台

・起工:明治31年10月20日

・竣工:明治34年10月5日

・備砲:斯加式12㎝速射加農砲 4門

・廃止:大正2年4月・廃止決定→昭和9年8月・全部除籍

 

⑦城山砲台(じょうやま)

・起工:明治33年4月20日

・竣工:明治34年11月10日

・備砲:28㎝榴弾砲 4門

・廃止:大正2年4月・廃止決定→大正6年8月・全部除籍

 

⑧城山附属砲台

・起工:明治33年4月20日

・竣工:明治34年11月10日

・備砲:9㎝臼砲 4門、野砲 2門(平時は格納)

・廃止:大正2年4月・廃止決定→大正6年8月・全部除籍

 

⑨姫神山砲台

・起工:明治33年2月1日

・竣工:明治34年11月15日

・備砲:28㎝榴弾砲 6門

・廃止:昭和8年・要塞再整理計画により廃止予定

 

⑩折瀬ヶ鼻砲台(おりせがばな)

・起工:明治33年12月1日

・竣工:明治35年4月30日

・備砲:斯加式12㎝速射加農砲 2門

 

⑪上見坂堡塁(かみざか)

・起工:明治34年8月1日

・竣工:明治35年11月30日

・備砲:9㎝加農砲 4門、7㎝速射加農砲 4門

・廃止:昭和9年8月・全部除籍

 

⑫根緒堡塁(ねお)

・起工:明治34年8月1日

・竣工:明治35年11月30日

・備砲:28㎝榴弾砲 4門、12㎝加農砲 2門

・廃止:昭和11年2月・全部除籍

 

⑫根緒堡塁(武隈山堡塁)

・起工:根緒堡塁と同じ

・竣工:根緒堡塁と同じ

・備砲:12㎝加農砲 2門

・廃止:大正2年4月・廃止決定→大正13年10月・全部除籍

 

⑬郷山砲台

・起工:明治37年8月11日

・竣工:明治38年10月1日

・備砲:28㎝榴弾砲 4門

 

⑭樫岳砲台(かしだけ)

・起工:明治37年9月10日

・竣工:明治39年2月6日

・備砲:28㎝榴弾砲 4門

・廃止:昭和11年2月・全部除籍

 

⑮多功崎砲台(たこうざき)

・起工:明治38年2月19日

・竣工:明治39年5月19日

・備砲:克式24㎝加農砲 2門

・廃止:昭和11年2月・全部除籍

 

以上、簡単に対馬要塞の明治時代の築城第2期について説明してみました。

それでは次回から、各砲台の探訪記を書いていきます(・∀・)

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第二巻 對馬要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「対馬砲台あるき放題~対馬要塞まるわかりガイドブック」(対馬観光物産協会)

「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用