◆参考リンク:「豊予要塞の概略」はこちら→→→

 

大東亜戦争末期の昭和20年(1945年)になると、本土決戦に備えて洞窟陣地を構築し、火砲を移設する作業が各地で行われました。

「佐田岬穹窖砲台」もその一つで、鶴見崎第二砲台から移設された三八式十二糎榴弾砲 4門を配備する穹窖砲台(洞窟砲台)が構築されました。

 

佐田岬の地図でその場所を示します。

佐田岬の先端、灯台下と御籠島に2門ずつ砲台が作られました。

現在御籠島の砲台は見学できるように整備されていますが、灯台下の方は外観を見るだけとなります。

 

まずは灯台下の穹窖砲台です。

2つの穴を崖面に見ることができます。遠目からもよく見えそうですが、偽装せずにこのままだったら敵からバレバレですよね(^^;)

 

砲台をアップで。

壁面には当時の迷彩が残っています。

 

角度を変えて、椿山展望台から見下ろしたドアップ写真を。

外側の壁には、豊予要塞の防御営造物でよく見られるうろこ状の施工を見て取ることができます。このうろこは、光の反射を抑えて敵機による空中写真から写り難くするための加工だと言われています。

 

次は御籠島の砲台に行ってみます。

当時の坑道は整備されて見学できるようになっています。

 

砲座手前に砲側弾薬置場に使われたと思われる掘り込みがあります。

 

砲座内部です。

レプリカの12㎝榴弾砲が置かれています。

 

この太い木材は当時の物なのでしょうか。

 

砲座前にある説明版。

 

もうひとつの砲座手前の坑道跡です。

 

こちらの砲座は前まで出て見ることができます。

壁にはうろこ状の施工が見られます。

 

正面より。

 

砲座からの景色。

砲台が設置された高島、その奥に大分・佐賀関が見えます。

 

2つの砲座を外側から。

 

以上、佐田岬穹窖砲台でした。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第十六巻 豊予要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「独立混成第118旅団歴史」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用